江藤新平の評価と薩長史観の否定

 「明治維新の立役者」と言えば『維新の三傑』を思い浮かべる人が多いのではないだろうか?薩摩の西郷隆盛と大久保利通、長州の木戸孝允の3人である。鹿児島県民と山口県民はそれを鼻高らかに誇っているが、これは明治維新から思想が全く進化していないとアピールしているようなものである。
 『維新の三傑』から『維新の十傑』に広げても、7人が薩長出身者であるが、それは薩長による権利闘争と排除の結果である。今回は肥前から維新の十傑に名を連ねる、江藤新平の功績を中心に、いかに薩長を中心とした史観が危険かを書いていく。

 江藤新平は1834年、佐賀藩生まれ。1862年に脱藩上京するも、帰藩。永蟄居となる。1867年、徳川慶喜が大政奉還を行なうと罪が許され、翌年明治政府入りとなる。
つまり、江藤新平は江戸時代のうちはほぼ何もできていない。『維新の十傑』入りするほどの活躍を見せるのは、明治時代になってからである。
1869年、日本初の私擬憲法となる『国法会議案、附国法私擬』を起草。
1872年、初代司法卿となり全国に裁判所を整備。
同年の山城屋事件(山縣有朋による汚職事件)や翌年の尾去沢鉱山事件(井上馨による汚職事件)(長州山口はかねてから汚職三昧であった)を厳しく追求したことで、長州閥から恨みを買う。
明治六年政変で西郷隆盛の遣韓論についた江藤だったが、この政局の動乱に乗じて長州閥の復権を狙った伊藤博文が、大久保利通と黒田清隆に働きかけたことにより、江藤・西郷・板垣退助・副島種臣の閣議決定上奏が岩倉具視によって握りつぶされ、下野。
その後、日本初の近代政党である『愛国公党』を副島種臣邸で結成、1874年1月12日、『民撰議院設立建白書』に署名し公表した。が、上京してきた佐賀征韓党の中島鼎蔵と山田平蔵が江藤に帰県し指導にあたってほしいと促すと、それを受け入れ佐賀入りした。
2月には島義勇と共に佐賀征韓党・憂国党の首領として擁立され、武装蜂起。佐賀の乱が勃発する。
政府軍の攻撃を前に敗走した江藤は3月1日、鹿児島指宿の鰻温泉で湯治していた西郷隆盛を訪ねる。薩摩士族の奮起を請うも断られた(その後、西郷は西南戦争を起こすが、やはり西郷自身に戦う意思はなく、桐野利秋などに祭り上げられたか)。続いて土佐の片岡健吉に武装蜂起を説くが、これも断られる。江藤自身が整備した指名手配制度の被適用者となり、土佐で捕縛される。
4月、江藤は佐賀に護送され、司法省の部下であった河野敏鎌に裁かれた。だが、結審する前に内務卿大久保利通の判断で判決は固まっており、府県裁判所である佐賀裁判所は単独で死刑判決ができないにもかかわらず、13日河野により除族の上で梟首が言い渡され、その日の夕方、島義勇などと共に梟首された。この一件はかねてより江藤の政敵であった大久保の「私刑」と捉えられている。つまり、江藤が整備した三権分立は未だ成立していなかったと言える(今もだけど)。

 早くから憲法成立と議会設立に動いていた江藤が佐賀の乱で死去すると、佐賀藩閥の勢いは弱まった。その後薩摩の重鎮であった西郷隆盛が西南戦争で、大久保利通が紀尾井坂の変で亡くなると、明治政府は長州の伊藤博文や山縣有朋、井上馨など、薩摩は残った黒田清隆や西郷従道、松方正義などが中心となる。
紀尾井坂の変から7年後の1885年に内閣制度が開始されると、伊藤博文が初代内閣総理大臣に就任する。それから10代までは肥前の大隈重信(8代)を除いて薩長閥が総理を歴任した。
佐賀の乱から15年後の1889年には大日本帝国帝国憲法が発布。署名したのは黒田清隆、伊藤博文、大隈重信、西郷従道、井上馨、山田顕義、松方正義、大山巌、森有礼、榎本武揚という面々だが、肥前の大隈重信と幕臣の出である榎本武揚を除くと、全て薩長閥である。
大久保利通や伊藤博文による他閥排斥が、見事に実を結んでいる。
しかし、それと平行して土佐を中心とした自由民権運動が活発していた。
土佐も古くから憲法成立と議会設立を唱えてきた。坂本龍馬の『新政府綱領八策』(有名な船中八策は存在が怪しいため、現存している新政府綱領八策を引用)には「律令ヲ撰シ新タニ無窮ノ大典ヲ定ム」「上下議政所」と憲法の制定と両院議会政治の導入が述べられている。
板垣退助は佐賀の乱の後も、自由党や愛国公党(再興)と政党を変えながら議会設立に奔走。内務大臣を務めるなどした(第一次大隈重信内閣での隈板内閣が有名)。その功績が讃えられ、国会議事堂の中央広間には伊藤博文と大隈重信と共に銅像が立てられている。

 これでわかると思うが、中央広間には薩長土肥のうち、薩摩出身者だけ銅像がない。これは、薩摩藩には議会政治という考えが毛頭ないということが見て取れるのではないか。大久保利通が内務卿として専制政治を行なうよりも、江藤新平や土佐藩のように早くから議会政治と憲法の設立を唱え奔走した方が功績としては偉大なのではないか。私はそう思う。

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