幼少期に夢中になったもの

自分がどんなものづくりが好きか、どういうことに喜びを感じるかは、幼少期に原点があると人から言われたので、親に聞いてみた。

母親からは、「残念ですが、特にこれと言って夢中になってやってたことない気がするよ。」

父親からは、「公園のブランコかな。あと公園行くと勝手にジャングルジムの上まで登って怖かった」ときた。

全くものづくりの関係ない、というかそれ以前というか。

飽き性は自覚しているし、コツコツ努力を積み上げていくような環境に身を置いたこともほとんど無い。勉強はそれなりに出来たし嫌いではなかった(数学以外)。

いま興味があること、ないこと。こういうのがポンポンと移り変わっていく人間。

その分、やると決めたら人に驚かれるくらいの行動力はあるだが、如何せんある程度満足したら次に向いてしまう。

「スパイスカレーにハマって自分で調合して店レベルで美味いカレーを作る人」
「自家焙煎珈琲を煎れてくれる人」
「自家製蕎麦をうつ人」
例が全部食べ物になってしまったが、趣味=特技、場合によっては職業になるレベルに極めるものは一切ない。

だが、世の中広くて色んな人がいるので、たとえば自分が普通にしている家事も、誰かにとっては役に立つ、有難いことになり得るはず。

筋トレ、栄養の知識も、その道のプロには到底叶わないが全く知らない人よりは知っている(昨年食事制限と運動で軽肥満体から10kgダイエット)。

どの道にもプロはいるが、その隙間を縫うような、横断的な仕事もあるのかもしれない。

職人は、細く深く永いというイメージがあるが、今の時代は作ることを極める以外の様々なスキルが求められるのかもしれない。

いま職人の手という本を読んでいる。本に載ってる職人さんは、自分は昔からこれしかしてこなかったから、キツい修業も業界の衰退もものづくりが好きだったから続けられたと渋いことが書いてある。

今の時代の職人はどんなのだろう。

ニコマコス倫理学に、善いことが分かっていても実際に行動しない人は、悪しことをする人より良くない的なことが書いてあった。何も為さない人。自分に刺さった。














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