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#9 こどくグータン

【感動した話】

約1年ほど書いていなかったが、先日私の常設しているマシュマロボックスに、
「こどくグータンはもう書かないのでしょうか?」という質問が届いていた。
感動した。これを読んでいる人がいて、なおかつ1年も更新していなかったのに気にかけていてくれるなんて。

少し昔話をする。私とインターネットとの出会いは小学校3、4年の時だったと思う。脳内メーカーというものが一時期流行っていてそれをやったり、ドラえもんの公式ホームページのゲームをやったりと今の世代と比べると可愛いらしいものだった。そんな私は高校でTwitterを始めることになる。そこで初めて自分で描いた絵を親以外に見てもらえるということを知ったのだ。しかしその頃でさえ、まだこの世に絵師界隈という大海原が広がっていることすらも知らなかった。そのおかげか私は小学校で絵を描き始めてから大学に入るまでの約8年間、特にいいねを貰うこともなく、ただ絵を描くことが好きでいただけだった。
大学に入るとTwitterは友達になった。Twitterは友達だし、Twitterにいる人との適度な距離感もとても心地が良かった。少しずつ見ず知らずの人に漫画や絵を見てもらえる機会も増えていた。初めてRT先の空リプで褒めてもらえたことを今でもはっきり思い出すことができる。いいねを押している人は私の親でも親族でもない。私を応援しているのではなく、私が描いたものを純粋に良いと思ってくれたのだと思うと感動した。
そう、感動したのだ!

私はその初物の感動をまた味わうことができた。
漫画や絵と違って文章は(上手下手を考慮しなければ)誰でもできる。だからこそ目を通してもらえるというのは嬉しい。有難い。
何気ない言葉が見ず知らずの他人の人生に一生存在し続ける言葉になることもある。それはこのインターネットの功罪だ。


【卯月コウと中学生的な輝き】

卯月コウというVtuberの存在を知った。
TwitterのAPI制限騒ぎがあった時に流れてきたけど動画をチラッと見て面白いな〜と思った記憶はうっすらとあるものの、それ以降は見ていなかった。
1ヶ月ほど前だろうか、マシュマロボックスに1件のメッセージが入っていた。
「卯月コウというライバーをご存知ですか?」
「彼と貴方の姿が重なり、オススメせずにはいられませんでした」
何本かおすすめの動画もタイトルも載せられており、私はシャワーを浴びながらその動画を全て見た。驚いた。私の言いたい事やTwitterで話していたことを彼もまた楽しげに話している。私の生き別れた弟かもしれない。メッセージの送り主の観察眼も素晴らしい。
そんなことを思いながらシャワーを終え、バスタオルにくるまりながら、私は満足げに卯月コウのチャンネル登録ボタンを押下した。

では見出しの内容について話したい。卯月コウは配信の中でこう言っていた。
「もっと根幹的な部分で中学生的な輝きを持ち続けたい」
私は社会人になってからよく中学時代を思い出している。あの頃と今がついに対比なってしまったのか。兎にも角にもよく中学生の良さについてTwitterで駄弁を繰り広げている私なので、卯月コウを崇拝するのも無理からぬ話だ。
さて中学生的な輝きとは何か。私は「好きなものを好きでいることを何者にも邪魔させない」という強さではないかと思う。それは視野の狭さや自分を客観視できていない所謂“イタさ”なのかもしれないが、それが強さでもあったのだと今になって思う。大人になるほど自分にとってどうでもいいことをどうでもよくないふりをしたり、逆に大切なことを隠すようにもなる。中学生の時、好きなことはそのまま私の人生の全てだった。大人になると好きなことは人生の娯楽に成り下がる。それを娯楽にしないために私は必死にあらがい、今も心は中学生であれている。恐らくは。

Twitterは色々な人がいる。良くも悪くも。私を含め中学生的バカが多い。良くも悪くも。あそこにいると私はずっと中学生的な輝きを持っていられるように感じる。こんなふうに語っても(少なくとも私の見えている範囲では)誰も笑ったり、いいから早く結婚しろなんて言わない。
好きなことを一生好きでいたい。それで良いと言ってほしい。私もそれで良いよと言ってあげるから。声を掛け合ってずっと中学生的な輝きを持ち続けていたい。卯月コウとTwitterと共にマインドで永久に制服を着続けたい。

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