#7 こどくグータン
そういえば試験落ちました
私は昔から良くも悪くも「運」と縁のある人間だと思う。
運と縁のある、と聞けば幸運に恵まれてると思われるかもしれないが、決して幸運だけではない。運には不運もある。私は人よりも幸運に恵まれる機会が多い代わりに、不運に見舞われることも多かった様に感じる。漫画みたいな不幸も、少々人には言えないような不幸もそれなりに体験したし、幸運も然りである。
5/19は私にとって2つの意味で重要な日であった。まず、神木隆之介の誕生日。これは本題ではないので置いておく。もうひとつが、基本情報技術者試験の午後試験受験日である。基本情報技術者試験とはIT関係の仕事をするものにとっては登竜門的存在であり、1年目、もしくは2年目、遅くとも3年目には取得をするべき国家資格である(なおこれは我が社的意識なので必ずしもIT業界全体の意識ではない)。この試験は午前試験と午後試験という2つの試験を合格することで初めて資格取得となる。私は既に以前午前試験には合格していたので、午後試験だけを受ければ良いことになっていた。
私は一生懸命に勉強した。目標は合格、ただ一点のみ。そして結果から言えば、私は試験を受けずして失格となる。何があったのか、その一部始終を記念に書き残そうと思う。
その日の朝はいつもより早起きをした。基本情報技術者試験は時間にとても厳しい。会場集合時間の午前9時に1分でも遅れようものなら受験資格を剥奪される。私は前日の夜から何度も目覚ましを確認し、緊張で眠れない身体をなんとか落ち着かせようとしたほどだ。もっと前の話をすれば試験会場最寄りの新宿駅から会場までのコースを日曜日に確認しに下見に行ったほどの用意周到ぶりだ。そんな真面目な私が寝坊なんてするはずもないだろう。その日は目覚ましよりも早く目が覚めた。顔を洗い、何度も荷物を確認し、時間にはかなり余裕を持って出発した。駅へ着き、改札を抜け、電車を待ち、乗り込む。
そこからである。電車がなかなか動かない。そして終わりの合図が鳴り響いたのだ。
「え〜ただいま恵比寿駅におきまして人身事故が発生した影響で、山手線は運転を見合わせております。お急ぎのところ大変申し訳ありまん」
正直、これを聞いてすぐは「ついてないなぁ」としか思わなかった。私は多少の遅延、20分程度であれば待てるような時間の余裕は持って出てきたからだ。しかしことは人身事故である。そんなわけがない。20分程度で済むはずがないのだ。時間の経過とともに徐々に焦り始め、タクシーに乗るために一度改札を出たがその判断が遅かった。タクシー乗り場には長蛇の列、私は絶望で足がすくんだ。運転再開のかすかな希望に望みを託し、私はまた改札へ入り電車へ戻った。逆算して、今出発しなければ間に合ないと言う時間になった時は泣きそうになった。だが、「会社に遅れるくらいで泣き出した若い女」と思われる可能性を考慮し、耐えた。何ならまだ「いまこの瞬間に出発すれば、新宿駅から会場へ全力疾走することで間に合うかもしれない」と思っていたほどだ。そしてそれと同時にまだこんなことが起こるなんて夢の様で、どう処理したら良いのか、脳が正常な判断を出来ていなかったのかもしれない。
そして、もうどう足掻いても間に合ないと言う時間になったとき、私は何故か少し気が軽くなって改札を抜けた。それでも9時までは駅から出ることができなかった。ただぼーっと困っているサラリーマンや、タクシーの列でスマホを見ているOLを眺めていた。そのうちに山手線は内回りが先に運転再開をした。皮肉なことに運転再開をした時刻は8時59分。全てが嫌になり、公園のベンチで朝から酒を飲んでいるおじさんと一緒に鳩を眺めていた。
午前試験免除の期限は今回までだったので、また次回午前試験から受け直しである。こんなことってあるだろうか。会場のルートの下見まで行って私バカみたいじゃないか。上司からなんて言われるだろうか。てか8月末に違う試験あるからまた勉強しなきゃだな。受けて落ちるならまだしも、受けさせてすらもらえないのか。すごい確率だな。エトセトラエトセトラ。
午前は試験の為に半休を取っていた。暇だったので、コンビニでコーヒーを買って、忙しなく仕事をしている大人たちを横目にブラブラと散歩をした。何もしない午前休もありだな。ただコーヒーを飲んで優越に浸るための午前休のさぞ贅沢なことよ。憎らしくも運転を再開し、私を泣かせたことも知らん顔で動く山手線に乗り込み、いつもよりぐっと足に力を入れ、憎き山手線を踏みつける。池袋のデパ地下で美味しそうなものを見た。何も食べる気が起きなかった。仕方ないので足を伸ばしてジュング堂書店へ行き、次に待っている資格試験の参考書を買った。午後からの仕事の時、現場の先輩に失格となったことを言うと必死に救済処置を調べてくれたが、私はこの場合の失格に救済処置がないことを知っていた。
これが、この日の私の話。
人身事故なんて。死んだのは20代の女性だって後からTwitterで見たけど、あれ本当かな? 人身事故が起こるとネットでは「迷惑だ」と怒る人間と「1人の人間の死を迷惑と言えるなんて人でなし」の大戦が起こり、石を投げ合っている。
否、否! 本当の意味で迷惑をかけられたもののみ、彼女に石を投げよ。そして私は石を投げようと思う。君が通勤ラッシュの恵比寿駅で最後の力を振り絞って埼京線に飛び込んだお陰で、私の努力はいとも簡単に踏み潰された。あの時Twitterで君のご冥福を祈った人間はもう君のことすら思い出すこともないだろうが、私はこれからの人生で何度か名前も知らない君のことを執拗に思い出すだろう。
冥福を祈ってはやれないが、彼女が「眠れる奴隷」であることを祈ろう。
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