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自分の性格。

自覚がまだない小さな頃は人見知りもなく育ったみたいです。

自覚をするようになってから自分の記憶では引っ込み思案でお遊戯会のステージに立つのはいいけど、人前で話をするのは緊張してしまうところがありました。

小学1年生の時に初めて手をあげて話をすることがかなり本人にとって高い壁だったんだなぁと思い出します。泣いてましたから。それからなのか話すときは顔が真っ赤になっていたらしいです。いわゆる赤面症ですね。保育園は手をあげて発言するという教育はしていませんでしたが私が好きだった男の子は普通に話していたので家庭環境がそうだったのかもしれませんね。

両親そろって農家生まれで職人気質ですから話すことは苦手だったと思います。

保育園のおゆうぎ会のステージに立つと自然にニヤケていたのはどうしてだったのか?

小学4.5年生くらいから踊りを母と一緒に習いに行っていた時期がありました。その時もステージに立つと自然にニヤケてしまっていました。名取まで踊りを続けるように言われたのですが経済的に難しかったようでした。母方の曽祖母が踊りの先生だったと聞いていましたから血がそうさせるのだったのだろう。と思います。

両親は父は足が不自由で母は体が弱くても夜なべをして一生懸命に私達を育ててくれた事に今でも感謝です。

そして将来の仕事に両親の職人としての生き方を選択することにもなりました。

今日はここまで。また次回に。

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