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母の着物仕立てについて。

母は着物の仕立てをしていました。資格は持っていませんでしたが呉服屋さんから預かった商品の仕立てをしていました。

以前に投稿していましたが母は中学生の時に縫った着物が褒められてとても嬉しかったことがきっかけになっているみたいです。

人は褒められると嬉しいしまたやろう!というやる気、元気が湧いてきますよね。体が弱くてもできた仕事だったと思います。

ただ私が専修学校に進み和裁を学びに来ていた同級生の中に体が弱いとか障害があるという人は辞めていきました。

自分が着物の仕立てをしていて解ったことは結構重労働だということ。座って動くことがないからそのように思わないかもしれませんが同じ姿勢で細かい作業を何時間もしないと形になりません。

一日中座り8時間以上同じ姿勢でいられますでしょうか?

今の家族にも意外とわからないみたいです。

それも母は体が弱いのです。夜中にトイレに起きると母が着物を縫っていました。母は何時に寝ていつ起きているのだろう?といつも思っていました。

朝おきるとすでに朝食の準備はできていて横になって休んでいることもままありましたから。今思えば徹夜だったことが結構多かったのでしょう。

私が小学低学年の頃は年の離れたいとこたちが成人式をするぐらいの年齢で自分の嫁入り準備のために着物を自分で仕立てることが普通の時代でした。

そこで着物の仕立てをしている母のところに着物の縫い方を教わりにいとこたちが来ていたのを覚えています。

当時は父や母の兄弟も多かったのでいとこ達もたくさんいましたから町の中心地に近いところに住んでいたため、いとこたちが家に帰る前に我が家に立ち寄り習い事のようにして来ていたのかな。と思います。

和裁教室や学校も当時はありましたが身近な親戚の母に習いにきたほうが他にも話があったりしたのでしょうね。

近所に和裁教室があり母が通っていた時期がありました。その先生は関東からご主人の実家に定年で戻られて住み始めたのだったと思います。

私が小学5~6年生くらいだったと思います。私も一緒に習いに行きました。その先生は十二単を頼まれて縫っていました。

地元の着物屋さんの娘さんがアナウンサーになり結婚するときにその十二単を着た写真を見せてもらったことがありました。

着物の魅力が続く子供時代です。

まだ書き足りない感じですが今日はここまでにしておきます。

また次回につづく。

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