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~新学期の今考えたい「GPA」について~① GPAとは?使い道?欠陥?

こんにちは。普段はMLBの投稿しかしていませんが、新学期ということで勉強の話題について書いていきたいなと思います。その中でも今回は、大学かつ学部の勉強に絞った話題になります。その中でも「GPA(Grade Point Average)」を重視することの利点とその盲点に焦点を当てようと思います。2つの投稿に分けますが、本投稿は前座として「GPAの使い道」、そして勉強全般について書いています。次投稿で、より踏み込んで「GPAが発する情報」「GPAの発さない情報」について論じていきたいと思います。

まず、私の考える「GPAの使用機会」について記していきます。

GPAは、通常4点満点で表される指標です。GPAが3.6とか3.7とか聞くと何となく賢く聞こえますよね。この数字が大きければ、私の知る限りでは早期卒業、奨学金、交換留学、ゼミ、大学院への内部進学時の研究室、海外大学院への進学の選考時に有利に働くと思います。

(以下は、本題から逸れた話を盛り込んだので、興味がない方はブラウザバックをして次投稿に移動して頂いた方が時間の無駄遣いにはなりません。)

少し本題から逸れますが、日本の大学生は勉強しないと評されることが多いと思いますし、現実に即した指摘だと思います。その原因には大学受験の激しさによる燃え尽き現象など様々な要因が考えられますが、高いGPAを取るインセンティブ(動機)が特にないことが大きな理由の1つだと思います。グローバル化に伴い海外への留学を志す人の絶対数は増えていますが、先程列挙した早期卒業からはじまり海外大学院への進学に終わる項目に一体果たして何%の学生が興味を示し、反応するでしょうか?恐らく全大学生の10%に満たないと思います。もし、読者の方の周りでGPAの"高い”人やこれらに該当する人が多い場合は、サンプルバイアスを疑ってみてください。朱に交われば赤くなるとはよく言ったもので、GPAの高い人の周りにはそのような人が比較的集まりやすい傾向があると思いますし、その逆も然りだと思います。

例えば、授業の履修時に「楽単」,「落単」という言葉を度々聞くと思いますが、真の面白そうな講義の情報を探っている人なんて滅多に聞きませんよね。世間の「大学生らしさ」が前者に規定されている傾向があり、後者はどちらかというと「意識が高い系」などの言葉で一括りにされてしまうので、中々思っていても表に出しずらい傾向があると思いますが。これらは価値観の問題なので是非など存在しませんが、折角大学に入ったのだから、「役に立ちそうか立たなそうか」の近視眼的な物の見方だけではなく、面白そうな科目を自由に履修したら意外と楽しいのになーと思ったり。私が1年前に読んだ会津大学の宮崎氏の論文「居心地の良い居場所の提供:人材育成機関としての大学の存在意義を考える」では、重要な指摘が述べられていました。要約すると、真面目な学生が悪気が無く発する「これらを学ぶことは何の役に立つのですか?」という問いは、回答不能な問いであるとしたうえで、もっと言えば、価値基準を醸成するための基礎教育を行っている時(当論文では、理工系の分野の教育)に、既存の自分の未熟な価値基準で、学ぶべき対象の価値など判断しようがないとあり、私の過去の態度を反省したものです。まあこれらは先程挙げたインセンティブの構造を変化させない限り、ある意味当然の現象ですよね。高い成績を取ったところで特に得るものが無ければやる気など起きません。これらを改善するには、GPAを高く獲得することに対する評価を社会全体が改める必要があります。

次の記事で、今回の本題である「GPAが発する情報」、そして「GPAの発さない情報」について考えてきたいと思います。(特に2点目については、多くの人が見落としていると思います。)

途中で言及した会津大学の論文についてはこちらを参照ください。

「居心地の良い居場所の提供:人材育成機関としての大学の存在意義を考える, https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieejjournal/141/11/141_681/_article/-char/ja/ , 2022年4月4日」

次の記事も読んでくださると嬉しいです!コメントも待ってます。それでは!

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