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ミスiDを受けた理由、そしてこれからの思い


※この文章を読んで気分が悪くなってしまいましたらごめんなさい。自己判断でお読みいただけると嬉しいです。


私がミスiDを受けたのは、障害者もこうして生きていることを伝えたい、そして君を救いたい。そう思ったからです。


「君を救う」って凄く綺麗事のようですが、実際にそれを実行することって難しいと思うんです。難しいし、実際に行動に移すというところから難しいと思います。

それでも、例えばだれかか「辛い」って言った時に反応するだけで、なにか変わることはあると思うんです。もちろんそれで悪くなることもあるかもしれません。だからこそ私は言葉をかける時にすごく考えるし、少しでも、少しでも君が自分を肯定できたら、自分を生きられたら、そう思っています。


「君」というのも理由があります。「あなた」の方が丁寧、一般的だと思います(あくまで個人的な感想です)が、「あなたと一緒に」というより「君と」と言われた方がなんだか近く感じる気がして。少しでも同じ高さの目線で、同じ立ち位置で過ごしたい。「あなたと」より「君と」の方がなんだか親近感が湧くというか、そんな感じがして。

少しでも君と心境も目線も風も音も気温も風景も…一緒に過ごしたい。怖いのがなくなるまで、一緒にいよう。そして一緒に抜け出そう。そう思っています。

もちろんその人が自分の世界だけにしたいのなら、それはそれでいいです。でも、私はすごく落ちた時に1人で穴の中から出られない、抜け方がわからないから、そんな時に一緒に抜け出す手を引っ張ってくれる人がいたらすごく助かるから。だから私は君と一緒に闇も暗も怖さも不安も一緒に過ごしたい。そして一緒に抜け出したいです。



「君と一緒にいたい」ということだけでミスiDを受けるのはなんだか場違いな感じがするかもしれません。なので本心というか、なぜ受けたかの根っこの部分を話します。これから話すことは欲張りでずうずうしいかもしれません。それでももしよかったら見てくださると嬉しいです。



「君と一緒にいて、少しでも君が明日を楽しみに思えるならそれでいい」、それでいいです。それが私の本望です。


でも、私自身に自信がないとそういうことって結構難しい気がして。私自身が私を持っていないとそういうことはできない気がして。



だから、自信を持ちたくて応募しているんだと思います。

できれば、「こんな私だけど」とあまり言いたくない、私も私を愛した上で君と一緒に居たい、その方が私も君と一緒にいるとき強くなれる気がするんです。雨が降ってきた時に雨宿りする木が、細くて小さいより大きくてしっかりとした木の方がいいよね…イメージ的にそういう感じの気持ちです。


結局私はわがままで自己承認欲求の塊です。でも、それで少しでも、少しでも明日も生きようと、楽しみだと思う人が増えるなら。

どうか少しでも私がこうして生きていることを認めて欲しい、わかっていて欲しい。

もしわかってくださったら、わたしが君と一緒にいる時にもっと私自身が強く、柔らかくいられると思うんです。



誰かの居場所でいることで自分の生きる意味を確立するのは、本当に失礼かもしれない、ずるいかもしれないです。でも、そうでしか今は私は生きる意味を見出せません。

居場所がないのはこの私かもしれません。君と一緒にいることで自分が生きる意味を感じる、それはそもそも私が居場所がなくて…。自分を確立していなくて…。


結局弱いのはこの、私です。私が一番弱いんです。




でも、それも私が私である事実は変えられない。誰かのために生きることでしか生きる意味を見出せない自分も愛したい、だからミスiDで上に行きたい、認められたいです。

ミスiDで認められたら、私が君と一緒にいる時にもっともっと大きな、丈夫な、優しい木になれる気がします。



欲張りでごめんなさい。こうして生きさせてくださってありがとうございます。




君の居場所になる時に、少しでも強くなれるように、ゆっくりだけど大学に行って精神保健福祉士の資格を取る予定です。私自身も体調がなかなか安定しなかったりいろいろ事情もあって本当にゆっくりゆっくりになるけど、君の居場所になる時に、少しでも少しでもなにかできることが増えれば、そう思っています。



私と一緒に過ごす君が少しでも世界に明るく歩き出すきっかけになれたら。




マイナスに思われてしまったらごめんなさい。最後までまとまりのない文章でしたが読んでくださって嬉しいです。



どうか、よろしくお願いいたします。


すなねこ🐈

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