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めめの目から〜アダプト評②〜

前回はまさかの1曲目『multiple  exposure』への想いだけで終わってしまったので、その続きから綴っていきたい。

2曲目は新曲だった。月夜のシルクロードが浮かんでくるようなその楽曲のタイトルは『キャラバン』

確かリアルライブの方ではここでタイトルがサービスモニターに現れたと記憶する。つまり『multiple exposure』は映画でいう所のオープニングや導入部にあたり、ここから本編が始まっているような気がするのだ。『multiple exposure』で世界観に引き込みセットアップされたところで、グルーヴィでオリエンタルな『キャラバン』がやってくる。この流れはとても気持ちがよかったし、自然と身体が揺らされた。今となってはその音源がリリースされていないことに歯痒さを感じてしまうほどだ。そしてそれは、あれを体験し今これを読んでいるあなたもきっと同じことだろう。それくらい中毒性があり、癖になる。そういうメロディラインだった。

次に詞を見ていきたい。前回記した"汗"が序盤で登場する。偶然か計算かはわからないが、『multiple exposure』でつたっていた"汗"がシャツに"模様"を作っている。その時間の経過、その過程にどうしても想いを馳せてしまう。そして"会いたくても〜歩かなきゃ"においては、我々も感じていた会いたいけれど耐えなければならない様と近しい。"夜"も"道"も(=その先に続くイメージはどちらも未来だろうか)"暗く"、"不安"の募る毎日だった。そんな刺激のない日々に"不感症"という言葉が刺さる。そしてこれは後の『ショック!』にもかかっているように感じてしまう。それはまたそちらの項で詳しく記したい。サビにある"うろ覚えの秘境"や"前人未到の夢の里"は『新宝島』と同じ場所を指すのだろうか。どちらにせよ、歌の主人公は"一人でも行こう"という気概を示している。そういった姿勢や全体の雰囲気は、作詞を担当する山口一郎が以前より紹介するパウル・コエーリョ著の『アルケミスト』を彷彿とさせる世界観である。とても本質的なことを綴っている作品で、海外文学ではあるものの訳のおかげか読みやすいと思うため、ご興味のある方はぜひご一読されてみては如何だろうか。そしてなんと言っても1番の衝撃は"春夏秋冬(ひととせ)"だろう。恥ずかしながら初めてその読み方を知った。教養も深めてくれるバンド、それがサカナクションである。これもまた後ほど『なんてったって春』と『スローモーション』にかかってくることになる。

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( 写真:パウル・コエーリョ著『アルケミスト』)

そして、忘れてはならないのが、この『キャラバン』から登場してくる川床明日香の存在である。冒頭に山口一郎が閉じ込められていた(ように見える)、筐体に今度は彼女が閉じ込められているではないか。しかも、そこから出ようと爪で側面を引っ掻き、その表情には苦悶と焦燥が見える。その様はまるで、ステイホームを余儀なくされたあの日々の僕らのように感じた(もちろん今だって自由は利きづらいのだけど…)。

さて最後に。ある作品の感想に対し、他の作品を並べるのは無粋だとは思うものの言わせてほしい。これはちょっと元気なガンダーラだ。サカナクション名物、曲作り円グラフの中には間違いなくゴダイゴがいる。と思う。


続く3曲目は彼ら流の唱歌『なんてったって春』だ。正直、今回のセットリストに入ってくるとは思っておらず、強く驚いた。と同時に、とても嬉しかった。言葉のリズムが本当に気持ちいい楽曲で、あのメロディに対して和と春の情緒を感じさせる詞は本当にセンスの塊だと感じる。気が付けば"だんだん僕も大人になっていった"訳だが、リアルタイムで聴いた時には大いにたまげたし、何度も何度も繰り返し再生したことを思い出す。ことライブとなれば、ローがまたとにかく凄い。腹の底に届く低音の響き。『キャラバン』であったまっていた身体がそのままさらに高まっていくのを感じ、この時点で脳は溶けそうだった。ひとつ残念なこと。ここで恒例のオイルアートが挟まれるが、いつもの彼の仕事ではなかった。またそれはリアルタイムではなく映像素材であり「sugar&sugar」の物かと思われる。様々な事情があるのだろうと察するが……また彼の仕事を観たい、そう思わずにはいられない。明滅を繰り返す赤い照明はツツジを想起させ、春の到来を焦がれてしまう。今年の春雷、啓蟄の雷はいつ頃だろうか。#春は必ず来る そう信じたい。


そうして4曲目に『スローモーション』と続く。夏と秋を飛ばし、途端に冬がやってくる。これは、進んだのではなく、戻ったのだと感じた。春を迎えようとしていた矢先、冬で足止めを食らったからだ。その冬は険しく長かった。いつしか季節だけが進んで行き、彼らと僕らにとっての春は、いよいよ来ることがなかった。"春夏秋冬(ひととせ)"はあっけなく過ぎていく。そうしてツアーは頓挫することを余儀なくされ、光は届き切らなかった(──これに関しては、光ONLINEで一旦の終息を見たのだと考えている)。

そして、ここで効いてくるのが川床明日香の演技だ。正直に記せば、リアルライブにおいてはその効果は弱かったのかもしれない。というのも、距離によってどうしても見え方が変わるからだ。端的に言えば、場所によってはほぼ見えない。A席でサービスモニター越しに見る演技と、SS席で直に感じる演技とでは明らかに違った。これは仕方のないことだが、生としての力、その差は距離において如実に現れてしまったように感じる。そんな中で、彼女の演技がばっちりとハマっていたように感じたのがONLINEの方である。ゆっくりと雪が降る中、傘を携えた彼女はベンチに座り、アンニュイな思案顔を浮かべる。それはモラトリアム(から抜け出したばかり)の憂鬱さを、(周りと比較して)"つらり つらりといけない"様を視覚的に届けてくれた。この演技が、彼女の存在が、スローモーションに降り落ちる雪と合わさることでエモーショナルを加速させ、舞台×MV×ライブという今回のテーマが見事にマッチしたワンシーンであったと感じる。そしてその感情の高まりはラストのコーラスに向かって進んでいく。

"だんだん減るだんだん減るだんだん減る 未来 未来"

この部分は山口一郎の考えだとされている。自分の考えを物語のどこにはめ込むか。この一節が入って完成したこの楽曲の詞は、次にこう続く。

"だんだん知るだんだん知るだんだん知る 未来"

コーラス隊(岩寺基晴、草刈愛美、岡崎英美)人気No.1のそれが高らかに響き渡っていく。

終盤、爆発するバンドの演奏に対し、光を受けながら静かに佇む少女。そのコントラストがまた美しい。

ちなみにこの『スローモーション』、初披露はバンド初の武道館公演(2010.10.08 SAKANAQUARIUM 21.1 (B))であったため、今回のセットリストに入ってきたのは必然であったのかもしれない。


時間の経過に伴い、未来は減っていく。しかしそれは同時に、未来を知っていくことにもなる。一得一失。何かを失う代わりに、何かを得ることができる。逆もしかりだ。つまり、物事は良い面も悪い面も表裏一体であり、ここにも二律背反が存在していることになる。

"つらり つらりと行けない"この世情で、何を失い、何を得ようか。

白い煙を吐きながら、心の奥で考える。

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