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めめの目から〜アダプト評⑦〜


前項においてようよう立ち上がったところに続く『アルクアラウンド』が13曲目にやってくることで、"この地で(この血で)"今ここからまた歩き始めるのだ、とそういう決意と覚悟がさらに強調されることとなる。

4つ打ちのダンスロックにシンセサイザーのエレクトロ感、フォークを下敷きとするメロディセンス、そしてどこか物悲しい文学的な詞を特徴とする同曲が、筆者とサカナクションの出会いだった。正確には例の緻密なMVがその初邂逅である。当時高校2年生。多感な時期に強い衝撃と憧憬を抱いたのを今でも覚えている。ちなみに、そのリリース日と自身の誕生日が同じであり、そういった点でも烏滸がましいながら勝手に縁を感じてしまう。バンドにとってもターニングポイントのひとつになった曲だろうと思うのだが、この出会いは我が人生においても大きなものだった。今なお大事な1曲である。

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(写真:2nd SG アルクアラウンド)

さて、話をライブに戻し、第ニ幕からの再生と復興がここで一旦の終わりを迎えることとなる。『a look around』つまりは周りを見回すことで、物語は他者比較と自己覚知へと進んでいく。


続く14曲目に『アイデンティティ』という先の『アルクアラウンド』以上にバンドにとってのターニングポイントとなっただろう楽曲が入ってくる。同曲のリリースによりファン層の入れ替わりが起きたと語られることもしばしばあるわけだが、その要因のひとつにはフェスを意識し始めた楽曲作りが大きいのだろう。音にせよ、詞にせよ。これからのシーンでどう台頭していくか、フェスでどう勝ち残っていくか、そしてそれは続く楽曲と戦略により見事に成功していくのだから舌を巻いてしまう。

さて、この曲について綴りたいことは実のところ然程ない。と言うのも、そのメッセージ性が併せ持つシュールな皮肉についてはわざわざ書くまでもなく浸透しているだろうからだ。"アイデンティティがない"に対してのリスナー側のレスポンス。皆一様に手を挙げ、振り、笑う。まさに"アイデンティティがない"有象無象とは我々のことであり、その一体感との可笑しみが堪らない毒気を生み出している。そして、その血脈は次曲の『ショック!』へと確実に受け継がれており、ある種の篩のようにも感じられるのだ。


そういう訳で、15曲目の『ショック!』について綴っていきたい。筆者は同曲について常々「怖い」と言い続けてきたのだが、その部分をメインに据えて記していくこととする。

同曲の存在が初めて明かされたのは「劇場版 ルパンの娘」の主題歌特別映像が解禁された2021年9月27日のことだった。使用されているのはサビ部分の1分間。誤解を恐れずにこれを聴いた時の感想を書くと「おいおい……まじかよ……どうしたサカナクション……」というのが率直なところだった。がしかし、いざ映画が封切りとなり足を運んだ劇場でそのフルバージョンを聴いたところ、その感想はがらりと変わることになる。まず浮かんだのが「怖い」という感情だった。歌われる内容が、その世界観が、予想外の方向へと広がりを見せたからだ。もちろん詞のテロップなど出ないため、なんとか掬い取ろうとじっと耳を澄ますほかない。何を歌っているのか、聴こえてくる音を瞬時に脳内で言葉に変換しようとするが、途切れ途切れにしか判別できない。それでも「何だかヤバい……」と潜在的な恐怖めいた物を感じて鳥肌が立ったことを今でも覚えている。遅れて「さすがだ……」とも感じた。当初どうしたと思っていた楽曲も、その全貌を聴けば間違いなくサカナクションの音で、山口一郎の詞だったからだ。新しいけれどそれとわかる、これは本当に凄いことだと思う。ブラスが入りラテンやアフロのノリを感じさせる軽快でアップテンポな音像。どこか懐かしさとその色から顔を覗かせる「太陽にほえろ!」感(『ショック!』の!はこの!からだろうか)。そこに添えられるえらく生々しい言葉の数々。お馴染みの「良い違和感」がそこには存在していた。これは後付けになるのだが、山口一郎が語った「エロとホラーは音楽では表現できない」という言葉。同曲はそれに対する挑戦だったのではないか、とそんな風に考えたりもする。その両方を筆者はこの曲に感じたからだ。詳細を書いて引かれたくないため抽象的な表現になるのだが、崩れかけた斜陽の艶かしさと熟れて開いた木通の気味悪さのようなイメージが浮かぶ。

そしてこの曲、まだその印象を変えるから恐ろしい。ライブでのショックダンス、それだ。両ワキをパカパカと開閉しながら跳ねるようにして行われる奇怪なアレ。大阪公演からは謎のニョッキまで加わる。例のアレらは『アイデンティティ』における手振りや掛け声、シンガロングに通ずる物があると思えて仕方がない。主題と反応の違和感。「ショックなニュースに飢えた自分にショックを受けた」という同曲の起点のテーマを聞いた時に「あー、自分にはそういうのないなー」なんて思っていたのだが、まんまとである。楽しく踊った。ニョッキはさすがにちょっとごめん、小さくしかやらなかったのだが。ただどうであれ、筆者も漏れずにそこにいたのだ。刺激(ショック)に飢えていた。『キャラバン』で歌われた不感症という言葉が頭を過ぎる。飢えの対象が違うだけで、自分にとってのパンとサーカスがあれば飛びついてしまう。そのニヒルな可笑しみ。このシュールな皮肉は、まさに先の曲との繋がりを感じずにはいられないではないか。これは令和の『アイデンティティ』であり、我々を篩にかける闇深ソングだ。これが、筆者がずっと同曲を「怖い」と言い続ける理由である。これらを踏まえた上で、筆者はこの曲がとても「好き」だ。

あとは同曲の演出についても綴りたい。劇団サカナクションについてだ。
「834.194光ONLINE」での「スナック光」に替わる今回の「情報ライブ Shock!」
メンバーの真顔演技も笑えたし、前回から引き続いての出演も多く馴染みのメンバーが並ぶ。TOURにるうこが帯同したこともサプライズで嬉しかった。俳優陣ではないために名前は書かないが、台風中継のためにずぶ濡れになる某マネージャーや記者に揉みくちゃにされる某ビクターの偉い人、NF memberになりたかった立て籠り犯の某お茶屋さん等まで出演しており、そういう小ネタにクスリとしてしまう。クスリと言えば……かのフロントマンはONLINEでの同曲で歌詞を間違え過ぎである(いつものことだが笑)。


長くなってきたが、流れから次の16曲目『モス』まではなんとかこの項で綴りたい。

15〜16曲目は「ルパンの娘」の流れであるが、同曲に元々つけられていた仮名は『マイノリティ』であり、その詞からも先述した他者比較から自己覚知パートの最終曲にあたると解釈する。

『アイデンディティ』の詞中にも言えることだが、自身の想いや他者との対比が同曲では頻出する。そして最終的には、"揺れてる心"のまま"三つ目の眼"の開き"繭を割って"飛び出す様が描かれる。

楽曲中盤ではこう歌われる。

"次の場所を 行けるとわかってたんだろう"

これは、次とその次の楽曲にもかかってくると個人的には解釈していて、良い繋ぎであったと感じる。場を沸かせながらも実に上手い構成だ。


このようにして、周りを見回し、他者と自己を見つめ直した後、いよいよ次へと向かっていくわけであるが、それについては次項で綴っていきたいと思う。


アダプトについてのライブレポートを書き始めて早1週間。この項を書き終え本編終盤までやってきた。我ながら長い。長過ぎる。正直ちょっぴり疲れている。いよいよお読み下さる方も減ってきて、かなり異質に映っていることだろうと自覚もあるが、せっかくだから最後まで書き遂げたいと思う。なんとか本人たちの口から解説等の答えが出る前には終わらせたいなあ、とそんな風に思いながら白目を剥きそうだ。

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