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めめの目から〜アダプト評⑨〜

『忘れられないの』が終わり、暗転。
ONLINEでは『フレンドリー』が、
TOURではアンコールの拍手が始まる。

双方を混ぜたレポートとしてここまで綴ってきたが、ここからは後者の流れで書き進めていこうと思う。


ステージ衣装からツアーグッズに着替えを済ませ、メンバーが戻ってくる。「5年後10年後にも愛される曲を」「15周年を前にあの頃の曲を」等のMCを挟み、20曲目(アンコール1曲目)に『三日月サンセット』が、続く21曲目(アンコール2曲目)には『白波トップウォーター』が演奏された。

両曲ともに1stAL収録の楽曲だが、古さは感じられない。それどころか先のMC通り、皆から愛され、長く大事にされてきた名曲たちだ。メンバーとリスナー双方からの人気の高さからか、後述のリアレンジALにも収録されている。この繋ぎに胸を熱くされた方々もきっと多いことだろう。筆者もその1人だ。

禍で離れることを余儀なくされたメンバーがリモートで作り上げた「リアレンジパッケージ」(どちらも良かったが三日月のその衝撃たるや……)
それを引っ提げてZEPP会場各地を回った「NF OFFLINE」(この際の白波の演出がまた涙を誘う……)
そうして再びみんなで演奏することが叶ったこの「アダプトONLINE & TOUR」

これら再集結の流れも今禍での適応や再生を意味しているのだろうなと感じずにはいられない。"あたり前"があたり前ではなくなった"日没"を何度も繰り返し、やっと"悲しい夜が明ける"のだ、と胸が締め付けられる想いだった。

(蛇足だが……アンコールMC明けで集中が切れたのか、緊張が解れたのか、はたまた終盤の疲れからか、ここでも歌詞がもにょもにょとしていた。しかしこれは嫌味でも何でもなくその雰囲気が逆に良かったように感じた。ここまで完璧な世界観だったからこそ、肩の力が抜けアイコンタクトでミスを笑い合う自然体なメンバーの姿に、こちらまで笑んでしまった)

そして続く22曲目(アンコール3曲目)に『ナイトフィッシングイズグッド』がやってくる。

このいつもとは違うアンコールからはやはり周年の気配が感じられた。テクノやダンス的手法でブチ上げてくるアンコールも大好きだが、旧来からの歌モノ曲でこうやって沁み沁みと踊りながら盛り上がっていくアンコールもまた良きである。

筆者は同曲をサカナクションのプログレ曲だと思っている。コロコロと移ろっていく曲調はクラシックを思わせる展開があり、そこに併さる痛快なロックサウンド、無機質な都会と対になる雄大な自然を思わせる情景描写、圧巻のコーラスと合唱パートから、最後は疲弊より脱却するかのように高まっていく大サビで終わる。個人的にカラオケで唄って最もスッキリする曲だ。堂々の1位である。もう本当に大好きだ。曲の最後、山口一郎の唸る拳までがライブでの同曲である。今回もあれが見れて嬉しく思う。

また、今回の同曲は #SILENTNFIG という愛あるハッシュタグまで生むこととなった。やっとバンドとして、チームとして、"夜に帰る"ことができたのである。"何もかも忘れてしまう前に"。そんな万感の想いであろうステージの上。それを前にする我々リスナーたち。ラストの大サビで唄われるこの部分が思い起こされる。

"この先でほら 
僕を待ってるから行くべきだ 夢の続きは
この夜が明け疲れ果てて眠るまで まだまだ"

きっと様々なことが重なって感極まったのだろう。あれを受け、このご時世で声こそ出せなかったものの、精一杯の拍手で支えるようなそんな気持ちだった。そしてこちらまで泣けた。愛知初日のあの涙に立ち会えたことを光栄に思う。と同時に、それには友の言葉があり、バンドだけではなく、周囲との縁にも改めて感謝したい。筆者は本当に恵まれている。本当におかげさまである。

そして、そのハッシュタグはチームフーディとなり、誰かさんのカードが止まる一因となるわけだが……オチまで含めてよくできた話だ。

そんな同曲も、ツアーを駆け抜けてきた武道館での最終公演では、メンバーの笑顔溢れる趣きの違ったエモーショナルを纏っていた。またそれがとても、とても嬉しかった。

こういう一連のドラマに筆者は弱い。
いいバンドにはいいドラマが付き物である。

また話がやや揺れたが、こうしていよいよアンコールを含めた今ライブが終幕に向かう。23曲目(アンコール4曲目)、最終曲『フレンドリー』

ライブの終幕のみならず、今回披露された新曲5曲のうちで最後に奏でられたそれは、エンドロールのように用いられた。楽曲のバックでスタッフクレジットが流れ、各演者に向け拍手が送られる。この演出からは演劇や映画のそれを感じた。それまでのアンコール3曲から、アダプトの世界観に引き戻されたような気分になる。先程までの和やかさから、どこか背筋が伸びる感覚というか。ただ別にそれは窮屈な感情ではなくて、本編に帰ってきた、そんな感覚に近かったように思う。これは、ONLINEを先に観ていた、それも関係するのかもしれない。

「今回のアダプト(プロジェクト)を象徴するような楽曲が必要だよね」とギター岩寺基晴が語った通り、そのために制作されライブ直前までその歌詞が練られたという同曲はまさに締め括りに相応しい楽曲であったと感じる(リリース時にはまた少し改変されるらしいが)。


やさしい、やさしい曲だった。


慈愛に満ちた、やさしい曲。だが、それだけではない、とも筆者は思うわけである。


"正しい正しくないと決めたくないな
そう考える夜"

と始まる同曲は、視点を真ん中にし、正反対の物事の間をやはり揺れている。中間にいるようだ。


"左側に寄って歩いた 側溝に流れてる夢が"

左の意見は夢=正論(理想論や綺麗事)だろうか。しかし、それは排水を流すための側溝に流れているらしい。

"右側に寄って歩いた そこには何があるんだ"

右の意見は過激な考えなのだろうか。少なくとも左とは反対に位置していることは確かだ。ただ、そこに何があるのかはわからない。

"左右 行ったり来たりの 水と泥の澱み"

左の意見や右の考え、そこを行ったり来たりし、水と泥が混ざり合って澱んでいる様を思う。濁ったそれは恐らく灰色=グレーなのだろう。心の晴れない様子も感じられる。

そしてそれらに耐えられず"窓を開けた"=風を通したい、新鮮な空気を入れたい=息苦しい(=生きづらい)という意味に解釈できる語が続く。


"すぐに飲んで吐いた嘘本音を 額に入れて飾る人"
"すでに飲んで消化した本音を ゴミに出して笑う人"

これらは何かしらの発言や発信(SNSやマスコミ等)への言及だと考える。例えば、ツイートやポストの真偽、またそれを持て囃す言動、過去のそれをわざわざ掘り起こして笑う様、不祥事や不倫等の失敗を論い飯のタネにする行為等々が当たるのではないか、と想像する。


"リアリティ 飛んでる鳥と 水に浮かぶ鳥に"

"鳥"は以前より山口一郎にとって大事な言葉のひとつだと語られている。他の楽曲においてもよく出てくるキーワードのひとつだ。ここでの"鳥"は1曲目である『multiple exposure』同様、"人"かと解釈する。"リアリティ"=現実に対し、"飛んでる鳥"=行動する人と、"水に浮かぶ鳥"=静観する人の対比かと考える。


“夢を語る君に"=正論(理想論や綺麗事)を語る君

"腕を噛むんだ"=その選択の困難さに悶々と苦悩する様


"早い流行り廃りを 次の時代が大きく笑う"

ここはストレートに時代の移ろいや世代交代を意味しているのだろう。しかし穿った見方もしてみたくなる。同曲について綴りながら新たな火種を生むつもりはないのだが……これはどこぞのファンたちにも当てはまる気がしてならない。彼はきっと気が付いているだろうから。


"君に優しくしたいな この気持ちが大きくなってく"

これはどの意見の"君"に対しても、という意味だろうか。ひとつ前の歌詞にかけるのだとしたら、崇め立てる"君"に対しても、いきり立っている"君"に対しても、というような解釈とした。


"正しい正しくないと決めた虚しさ
そう真っ暗になる"

そして"決めたくない"と言っていた物を"決めた"ばかりに、虚しさに苛まれ、"真っ暗"=「黒」になってしまい楽曲は終わる。


こうやって改めてその歌詞(ほぼ全て)を並べて分解し考えてみると、相当暗澹としていることに気がつく。音像や強いワードから温かい曲に見せかけておいて、実のところ結構根深い。だが、そこがいい。それでこそサカナクション、山口一郎の詞だと感じる。また温かさの擬態には、久しぶりに文字通り表舞台に姿を現した川床明日香の存在も影響しているのかもしれない。彼女は先の『目が明く藍色』で解き放たれ、ようやくここに来て再登場を果たす。そんな彼女はどこか晴れやかな表情をしており、タワー上方で小気味に跳ねている。あの可愛らしさからは、この黒さになかなか結びつきにくい。

音の方で言えば、ラストのサビに転調が武道館公演より加わった。エモさが欲しかったと追加理由に語られたそれは、見事に効果を発揮したように思う。実際耳にし、胸に迫り来る力が増したと感じた。

そして"やさしい"曲と漢字を開いたのには訳がある。それは"優しい"でもあり"易しい"でもあると感じたからだ。"優しい"と思ったのは、その揺れる様や強く目立つワード"君に優しくしたいな"の部分から。"易しい"と思ったのは、使われている語句がそれほど難しくなく、むしろ読みに困らない"易しい"物が並んでいたからだ。それらは、それほど広く届いて欲しいという気持ちの表れだろうか。

長々と綴ってきたが、これで『フレンドリー』についてはようやっと書きたいことの半分、というところだ。さすがは今回のキーソング、アダプトの象徴だ。考えても考えても、いくらでも思うことが出てくる。あまりにも長くなりそうなので、この項はその解体までとし、次項で同曲を芯に据えたアダプトONLINEとTOURについての総括を綴りたいと思う。⑩までで終わりたかったのだが、まだ雑観としても語りたいことがあり、媒体としてnoteを選んだのは幸か不幸か……まっこと奥深いプロジェクトであると感心するばかりだ。

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