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めめの目から〜アダプト評①〜

綴ることを躊躇っていた。綴るには今回の体験はあまりにも深く、重い。また、そこに付随する暗く長い2年間がどうしても首をもたげてくるからだ。自分自身も歳を重ね、昔ほど時間と体力に余裕もない。では何か配信で話せばいいのではないか、とも思った。だが、結果的にはやはり綴ることにして、今こうやって言葉を紡いでいる。これが僕にとって最も素直に心の中を表現できる媒体であり、それは同時に頭の中の整理にも繋がるからだ。そして、この自己満足を何かしらのカタチに残すことで自分の忘備録としてはもちろん、届く場所なんかも変わるのではないか、いま読んでくれているあなたの解釈との齟齬なんかも楽しんでもらえたらいいな、そんな風に想いながら、祈るように書き進めていきたい。

さて、綴るのはタイトルにもある通りサカナクション「アダプト」について。そのONLINE並びにTOURでのライブが主である。とは言え文中、バンドとチームの動きやこれまでの流れ、それを受けての私見を織り込む場面もあると思うため、純粋なライブレポとは異なってくる点についてはご容赦願いたい。

今回のこのアダプト(=適応)プロジェクトは、2021〜2022年に跨ったサカナクションの活動計画の柱である。そしてこれは2023年にアプライ(=応用)プロジェクトへと移行していく予定だ(2022.2.13現在)。だが、その全体像はまだ明らかにされておらず、なんなら提供側においても試行錯誤の連続であることは想像に難くない。そのため、現時点では大体そんな感じで動いていくのだなーとぼんやり捉えていれば支障はないだろう。

このアダプト→アプライプロジェクトが初解禁されたのが2021年10月のこと。アダプトのツアースケジュールに関してはNF OFFLINEの終わりに告知があったから、同年夏から約半年をかけてこのONLINE〜TOURに入っていったこととなる。その情報は小出しにされ、スピーカープラスのリベンジや演劇を混ぜ合わせるという新しい試み、通常とは逆の流れ(オンラインライブ→リアルライブ→音源発表)等、ある種サカナクションらしい一風変わった挑戦的なスタイルのものとなっている。この時代にライブをするという意味、それを探っていった結果がああいった特殊な動きとして現れた。

前回の「SAKANAQUARIUM2020 834.194 光」が仙台公演を最後にその歩みを止めてから、約2年ぶりの全国ツアー。待ちわびていた方も多かっただろう。同時に、立場や状況から今はまだ…という方も多く、悲喜交々、様々な声があった。

前置きからして長くなってしまったが、ここからが本文である。上記の世情の中、幸いに自身もONLINEとTOUR数ヵ所の両方を経験することができたため、それらを複合して、セットリスト順に今ライブを振り返っていきたいと思う──。


アダプトONLINEは光ONLINE同様、スマートフォンに映し出された映像から始まった。この導入には、これがオンラインライブであること、そしてそれがリアルタイムであること、同じ物を見ているという一体感を高めるため、そういった意図があったのだろう。それからバンドの演奏をバックにアダプトタワーの階段を一人称視点で登っていく。1曲目に選ばれたのは『multiple exposure』白いスモークが視界を遮り、よく見えない。まるでこの日々のように。そして歌われる「そう 生きづらい」という言葉。やられた……と思った。演奏は続き、面々が見えてくる。ギターボーカル山口一郎は何やら電話ボックスのような筐体に入っている(ように見える演出で、実際はそれ越しに撮られていた)。霧のように纏わりつく不自由さ。そんな彼は楽曲の終盤にそこから抜け出て、あろうことかタワーからその身を投げ出す。もちろん実際には下にクッションを引いてそれほどの落差はないのだろうけれど、それでもちょっぴりショッキングな幕開けだ。そして現れるタイトル。これら一連の流れには、鑑賞者をぐっと世界観に引き込む効果があって、楽曲と相まって良いオープニングだったと個人的には感じている。

対してTOURである。時間をライブスタートから少し巻き戻してみる。まず会場に入って目の前に現れるアダプトタワーがデカい。笑っちゃうくらい本当にデカい。A席、S席、SS席、それぞれに見え方は違っただろうが、どこにいても感じる存在感。特にSS席前方での圧迫感は凄かった。巨大な建造物に相見えた時に感じる畏敬の念。見上げ、眺め、口が開く。わぁ〜、、と自然に声が漏れてしまうようなあの感覚。なるほど遺跡だ。そして、暗転。タワー上部から光が巡る。初見、それは灯台のあかりのように思えた。その存在を示し、暗闇に包まれる海において位置や方向を教えてくれるような。しかし回を重ね、それはどこか監視されているような危機感に変化した。刑務所や収容所にあるサーチライトのようにも感じられたのだ。何かを探すように、闇を割きながら回転する光。緊張感。それを破ってライブが始まる。光の中に現れるメンバー。ブラックライトに反応し浮かび上がる蛍光色。じっくりじっくりと鳴らされていく音。自然と合わさる掌。祈り。

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(写真:大阪城ホール2日目SS席2列目からのタワー)

この始まりの中で強く感じたのは、タナトスとディストピアのにおいだった。そしてそれは編み上がっていく物語の基盤として、中盤や終盤、その要所要所で効いてくる。うまく機能しているなあ、と感心するほかない。

さて話を楽曲に戻し、もう少し踏み込んだ感想を記していきたい。もともと『multiple exposure』には花火と原爆というテーマがある。双方とも同じ爆ぜる光でありながら、その美しさと悍ましさには大きな溝があり、それを混ぜ合わせた同曲には二律背反が同時に存在している。原爆(戦争)とcovid-19はもちろん違った事象だ。しかし、一般人にとってそれらはどちらも大災厄であることに変わりない。強大過ぎる災厄を前に、無力である我々はそう生きづらさを感じ、その収束を祈った。次に、その名が表す多重露光という単語。これは複数の像を一つに重ね合わせる撮影技法であり、前述の二律背反にも重なるのだが、物事が同時に多重層的に存在していることを意味しているのだと考える。これはこのコロナ禍においても様々な物事に当てはめられるのではないだろうか(例:政府と民意、ワクチン接種の賛成反対、社会文化活動と外出自粛、各人の生活様式や予防に対する感覚、各国の判断と動静……etc.)。今回は例示が限定的すぎるが、つまり、何かしらの事象に対し唯一解は存在し得ないということ、そしてこの世界は様々な像=色(個性や価値観その選択)が重なり合いながら成り立っているということを示唆するために今ツアーでは1曲目に置かれたのではないか、そんな風に感じた。それらは等しく「正しい正しくない」とは決められないはずで、最終曲である『フレンドリー』で歌われていることへも繋がっていく。立場によって正義は変わり、白黒はっきりさせることは自ずと不可能だと言える。色は混ぜ合わせることで無彩色となる。そしてその見え方は人それぞれに異なり、光の反射率によっても変化する。ゆえに、今ツアーのテーマカラーに抜擢されたのが、無彩色の中において中間点にあるグレーだったのではないだろうか。

その他、同曲に出てくる"鳥"も『フレンドリー』とかかり、"汗"は次の『キャラバン』に繋がっていると考えていて、それらについてはまたその項で述べたいと思う。


あとがき

今ツアーはコンセプチュアルでストーリー性が強いように感じたために長々と綴ってしまったのだけど……これだけ書いてもまだ1曲目である。それに呆れながら、まずはここで閉じたい。今後、この続きも綴っていくつもりではあるが、これはあくまでも個人の感想であり、所謂いちファンの虚言妄言の類であると軽く捉えてほしい。アダプトロスに見舞われる筆者が書いた戯言である。それをご理解頂いた上でお付き合い、また、お読み頂ければ幸甚の至りである。

また、誰かと競ったりそれを貶めたりといった意図は決してなく、この自身の見解が正しいとも思っていない。こう感じた、そう解釈した、ただそれだけである。むしろ、本人たちの口からこれらの解説がなされる日が来た時、盛大な恥をかきそうな気がして今も戦々恐々としているところだ。


やさしくありたい、そう思う。  めめ

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