見出し画像

めめの目から〜アダプト評③〜

夜毎に綴り、早3日。まだ4曲しか書けていないという事実に我ながら辟易としてしまう。これ、ずっと読んで下さる心優しい方なんているのだろうか……。そう言いつつも、元より果てしなく自己満足な文章であるから、今もこうして書き進めようとしているのだが。


続いて5曲目『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』

サカナクションにとって、ある種のエポックメイキング的な位置付けになる楽曲がここでやってくる。同曲のMVは、今プロジェクトでも総合演出を担当し、これまでも様々な場面でタッグを組んできた田中裕介が監督を務めており、またそれが両者の初仕事であった。その関係が約11年の時を経てなお続いていることも素敵に思えるが、サカナクションの活動自体にも大きな影響を及ぼしたのは間違いがなく、山口一郎本人も時折言及している。「音楽に関わる音楽以外の仕事(創作)」つまりスタイリングやヘアメイク、アートディレクション等々、所謂「チームサカナクション」と呼ばれるような面々の力がこれからの時代ではキーになってくると確信することになったのがこの楽曲である(誤解のないように記すと、そのメンバーは当時とは変化している)。そしてその確信は現在の活動やNFの発足にまで波及することとなる。また、某音楽番組に初登場したのもこの楽曲であり、クラフトワークをオマージュしたパフォーマンスは、当時のお茶の間に大きなインパクトを残した。リアルタイムであれを経験した身からすると大変な衝撃を受けたのは言うまでもない。そしてそれを振り返って今、楽曲が色褪せないことにまた違う感動を覚える。詩吟とダンスミュージックを混ぜ合わせたそれは、今でも新鮮で奇妙だ。20kgのバッハ人形だって健在で、今回も大活躍する。

さて、逸れてしまった話をアダプトに戻そう。今回の演出において、ここでも川床明日香が良い効果を発揮する。先のスローモーションとはまた違うベクトルの怠さを漂わせ、頬杖をつきながらTVを眺める彼女が登場したのだが、その顔つきは色のない無表情にも見えるし、やや険しく不機嫌にも思える。その微妙な感覚は、楽曲が持つどこか寂しげな夜の雰囲気と合わさり、記憶を刺激する。思い出すのはやはり、自粛期間。ステイホームで何かしらの画面を眺め続けていた自分とどうしても重なってしまう。個人的に画面を眺めるのは苦ではないし好きな方なのだが、自由な中でのそれと不自由な中でのそれでは意味合いが変わってくる。つくづく自分という人間は我儘でないものねだりであると痛感するほかない。そして彼女もまた、何かを思いその場を後にする……(もちろん次の楽曲のためでもあるのだが)。


そして、ここからの繋ぎである。ここからの繋ぎが本当に気持ち良かった。音が減衰していく中、江島啓一のタイトなドラムが安定感のあるリズムを刻んで牽引していく。そこにギター岩寺基晴とキーボード岡崎英美が丁寧に音を重ねていくことでバンドアンサンブルの色味が増していき、こちらの胸は期待で膨れ上がる。そして極め付けに、ベース草刈愛美の唸るグルーヴが底から這うようにして身体を包み込んでくるのだ。それらを一身に受けた体内では悦びが炸裂し──。もう、本当に、本当に、気持ちが良かった。血湧き肉躍るというのはああ言うことを言うのだろう。ここまで可能な限り丁寧に綴ってきたつもりであるが、文体が崩れてしまうほどの、またもうそれで良いと、むしろそれが良いと思えるほどの、そんな演奏だった。毎度ながら、こういう部分は本当に天晴れである。また、メンバー同士の目配せがニクいということも忘れずに記しておきたい。


そうして始まった6曲目がふたつめの新曲『月の椀』だ。
文字にすればこのようにあっさりと移ろってしまうのが本当に悔しい。それほどまでにバッハ〜椀への繋ぎが最高に気持ち良かったのだが、続くこの楽曲もまた良い。メリハリのあるイントロから気分は最高潮だ。そしてそれを、紡がれていく山口一郎の詞でゆっくりと撫で下ろされるような感覚。これは決して悪い意味ではなく、自然とその世界観に誘われたのだな、とそういった感覚である。氏の言葉を借りるならば「ハメられた」ということになるのかもしれない。

詞には "君" "夜" "月" が多用され、それらとの関係性が描かれる。"アスファルトの上を泳ぐ"という表現や、耳触りの近い"ツキノワン"と"ツキノバン"の使い分け、"気になり出す"が気になりダンスに聴こえる言葉遊び等、今回披露された新曲5曲の中では1番、これまでの流れを汲むサカナクションみ溢れる正統派、という感覚を受けた。

演出面では、やはりバックに流れる映像素材が特徴的であろう。横移動ではなく進行型であり、そのためにランニングマシンが導入されるというユニークな試みが見られた。リアルライブにおいては若干のシュールさを感じたため、これもONLINEや映像で効いた演出だったのではないかと感じる。また、これは余談というか余計なお世話なのだが……この映像素材には月の名所として名高い桂浜等が映されており、撮影を担当したという西塁に対し、834.194の道程に続き今回も秘密裏に大変な旅へ出ておられたのだなあ、と感心すると同時に慰労の念が湧いた。こういった部分でも手を抜かないあたり、チームサカナクションは本当にどうかしていると感じる。もちろん良い意味で。

やさしく降る紫の照明もムードを醸し、大変に良かった。それはメンバーの背に浮かぶ満月の神秘的なあかりのようにも、"朝をじっと待った"結果の明ける空色のようにも取れた。


こうして『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』で夜に沈み『月の椀』で朝を迎える流れができあがった。続く2曲からは "心" と"色"、つまりは他者との間で揺れ動き混ざり合う心模様を覗き見たような、そんな感慨を受けたのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?