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高校生のための「きらめき未来塾」大日本報徳社で開催(『報徳』2024年9月号巻頭言より)

青春彷徨

「きらめき未来塾」は、2005年、広島県の庄原で始まった。庄原はアメリカンファミリーで知られる日本アフラックの創業者である大竹美喜さんの故郷である。『愛と認識の出発』や『出家とその弟子』で一世を風靡した思想家・倉田百三の出身地でもある。そんな風土もあってか、大竹さんは小中学校の頃から、人生如何に生きるべきか悩んだという。倉田百三の妹の艶子さんが庄原に住んでおり、その集まりにもよく通われた。
小説家になろうか、ブラジルで農業経営をしてみようか、いやアフリカでキリスト教の伝道師だと、その時々いろいろな生き方を考えた。政治を志して代議士の秘書もやったが、馴染めなかった。幸せを保障せんとする保険と出会い、誰も手を出さなかったがん保険に挑戦、今日を築かれた。
そんな青春彷徨の自分を振り返り、高校生たちの想いに寄り添い、いろいろな可能性を提示したい、大きく夢を育んで欲しい、「きらめき未来塾」は大竹さんのこういう想いから出発した。

新たな気づきを

兵庫の篠山市、岐阜の飛騨市、香川の小豆島、福島の二本松など、場所とテーマを変えながら毎年開催され、本来なら今年が20回目だが、コロナ禍で4回パスしたので、今年で16回を数える。
4年振りの開催で、報徳に熱心な大竹さんは、まずは掛川で再開してみましょうと提案された。東京、静岡、岐阜、愛知などから高校生たちが参集し、ミャンマー、インドネシア、ベトナム、中国からの静岡大学の留学生たちが加わった。
今年のモットーは「新たな気づきを」である。住宅建設会社リブランの創業者である鈴木靜雄さん、元日銀総裁の白川方明さん、元文部事務次官でペルー大使も務められた土屋定之さんが講義して下さり、私も報徳の考え方について話した。
「きらめき未来塾」の理事長は大竹さんの意を体した住川雅洋さんで、私は塾長を務めている。今回、白川総裁をお呼びできたのは、日銀理事を務めた住川さんのご尽力による。

会社に来るな、地域に出勤せよ

鈴木靜雄さんの演題は「夢は必ず実現する! 目標・実践・志を」だった。千葉県の館山から竹芝桟橋へ、歌声喫茶で知り合った弘子夫人と不動産屋でアルバイトをし、22歳で独立。25歳でリブランの前身会社を設立され、60年の歴史を刻む。
「企業は社会運動体である。社員は会社に来るな、地域に出勤せよ」。衝撃的な言葉である。そうなのだ、企業は社会問題解決のためにこそある。本質直感にあふれた言葉にハッとさせられる。
ナイチンゲールは「病の原因の半分は、住環境・環境に起因する」といった。鈴木さんは、不動産住宅の問題を人間・家族・子どもの体と心の問題として捉え返し、ナイチンゲールの言葉を住宅マンション建設の根幹に据える。
子ども部屋がキッチンやリビングに近く、朝夕に母親が料理する音や匂いが子ども部屋に届く間取りの工夫をした「子育てマンション」。雨の日も子どもが遊べるスペース、ウッドデッキ、水遊びが出来る滝も作って注目された。
無垢材などの自然素材の家に移ってアトピーが治った話から、化学物質の入った量産材を使わない家、全室を日当たり良くする角部屋マンション、夫婦が夫婦になるマンション、バイク愛好者たちの集まる究極マンション、音楽愛好家の求めるホール付マンション、等々、地域密着、人々の要望に応える、健康で個性豊かな住宅・マンションを建設していった。
「自分は大学に落ちて大正解。大学に行き、大企業に入り、官僚となって、屁理屈だけの仕事をした連中が、今の日本の凋落を招いた」と厳しい。
実は1日目の入塾式の後は、「大学でいかに学ぶか」という西原春夫早大総長と私の対談をビデオ教材にして使った授業だった。2日目はそれと正反対の話である。
「詰め込み勉強より大切なことは、研ぎ澄まされた感性と直観力」、今求められるアタック精神の真髄を語り、生徒たちに最高の挑発となった。本誌14ページにも寄稿いただいている。

必然と偶然、そこに働く自らの意志

日本銀行の総裁を務められた白川方明さんは「私が選んだ仕事」と題して話された。北九州市の小倉高校を卒業し、東京大学経済学部に学び、1972年に日本銀行に入る。支店長、理事、副総裁を経て2008年から五年間、総裁を務められた。
「今高校生だといっても、そう遠くない時期に大学を出て仕事につくことになる。仕事の意味や、どういう仕事を選べばよいのか、答えがあるわけではないが」と前置きされて、ご自分の経験を話された。
1968年に大学に入ったが、世界的な学生反乱の時代、ストライキで授業はなかった。翌年の1月ごろ経済学の本を読む会に誘われた。経済の面白さを知り、法学部に進むコースにいたが、思い切って進路を経済学部に変えた。友人との出会い、支えがなければ、経済にかわることも、日本銀行を志望することもなかった。
経済学部に進んで小宮隆太郎という素晴らしい先生に出会った。経済政策をどうすればよいのか考えていくのは非常に面白かった。就職は、日本銀行で最初に出会った就職担当の人の人間的魅力に惹かれ、入ろうと思った。若い時に出会った何人かの先輩、上司、同僚に非常に尊敬できる人がいて、そういう人から多く学んだ。
今は転職の時代になったが、39年間日本銀行に勤めた。高校生の頃の自分は、何も考えていなかったと思う。日本銀行についてもほとんど知らなかったし、そこで仕事をするなど全く思ってもいなかった。
最初からそうと決めていたわけではなく、偶然が重なってそうなった。総裁になったのも多分に偶然的なことで、副総裁として国会で認められた時、総裁予定の人が国会で否決されたので、自分のところに回って来た。
日本銀行の仕事は非常に面白かった。やり甲斐があったと振り返られるのは幸せなことである。大切なのは、好奇心。好奇心を持っていろいろ経験すると、知識が増える、人と共感する能力が高まる、謙虚さが身に着く、そして自分の意志を発見できる。
やりたいことを、皆さん、自身では気が付いていないのかもしれない。出会いを大切にして欲しい。仕事は収入の多少より、自分が満足する仕事をした方が良い。国際会議で議論することが多かった。世界の現実は圧倒的に英語で、しっかり英語を学んでおく大切さを付け加えられた。

ビジョンの重要性 

目指すべき目標をどのように設定するか
土屋定之さんは、広島の修道高校の出身で、北海道大学の工学部大学院を経て、科学技術庁に入り、文部事務次官、ペルー大使も務められた。
問題は学問分野における日本の衰退である。この10年で論文シェアは3位から5位へ、注目度の高い引用論文数は6位から13位に落ちている。米国における国際共著相手国は中国がトップになり、日本はイタリアに抜かれ8位、分野別では10位以下に落ちて来ている。
 こうした事態の中で、ビジョンの設定、到達目標をどうするか、創造的破壊といわれるイノベーションの在り方、持続可能な社会変革のための17目標との関係、「ソサエティー5.0」との関係などについて話された。
「ソサエティー5.0」は、狩猟社会(ソサエティー1.0)、農耕社会(ソサエティー2.0)、工業社会(ソサエティー3.0)、情報社会(ソサエティー4.0)に続く、5番目の「人間中心の超スマート社会」で、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を⾼度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両⽴する⼈間中⼼の社会」のことである。どのようにビジョンを認定し、具体化するか。

水準の高い講義で、生徒たちには難しいかと思ったが、「全く初めて聞く話で新鮮、学問の大切さがわかった」と反響がよく「衰退の危機というが、でもしばらくすると自分と関係がないので忘れてしまいそう」という重要な指摘もあった。生徒たちの関心の広げ方と受容の関係が提起されており、「きらめき未来塾」の根本にも関わる大切な問題提起である。

生徒たちは、「新しい気づき」をどれだけ得たであろうか。感想と評価の締め切りは八月末。楽しみである。

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