優等生だった私、「やりたいくないから宿題しない」子供だった相方

私はどちらかというと「優等生」と評価される子供だった。家の中でも学校でも、親や教師から評価されやすい子供だったということ。一方、相方は問題児というわけではないが、宿題も「やりたくないことはやらない」で通すような子供だったらしい。「大人から叱られたら嫌」だった私からすれば、「叱られたってへっちゃら」な相方の子供時代の話は驚異的であった。


家庭での私

私は3人兄弟の真ん中であることで、親の気持ちに聡い子供に育つ。母は私たちの子供時代に大病をしており、今でも普通の人より体力がない。家のことをこなすのも大変そうな母を見て「お手伝いすれば母が喜ぶ」と、言われる前にお手伝いをするようになる。しかし本当はお手伝いなんてしたくない。半ば「点数稼ぎ」のお手伝いをするような、ちょっと計算する子供だった。

叱られても「おとなしく、しおらしくしとけば、説教はそのうち終わる」と、反省したふりの上手な子供に。自分の気持ちを素直に発言する(「うるさい」とかね)妹は、親の怒りに油を注いで説教が長くなる。そんな妹を「今それを言うな!バカ〜」なんて思っていた。

今でも母の評価は、「私→家のことを良くする子、妹→気が向いた時しかしない子」という感じ。私は母にごちゃごちゃ言われたくないから、さっさと済ませるだけ。妹はやりたくない訳ではなく、自分のタイミングがくるまでやらないだけ。せっかちな母はそれを待っていられない。哀れな妹よ。


学校での私

小学校の間は、特に努力しなくてもお勉強のできるタイプの子供だった。宿題も面倒とは思いつつ、「やらないと叱られる、それは恥ずかしい」という動機できちんとこなす。親から勉強しろとは言われた記憶はないが、一応「帰宅→宿題→遊び」という習慣をつけられていた様子。今は親がいちいち、宿題を終わらせたかチェックするんだよね?……なんだそれ、親も面倒臭いねー。

小学校で一番嫌だったのは「恥ずかしい思いをすること」。その気持ちが強い余り、それなりに勉強ができるのに、手をあげて発言することができない子供になる。「一日一回は発言」「できないと班で連帯責任」のクラスだった時は、毎日憂鬱だった。

一旦自分の中に「優等生である自分像」が出来てしまうと、そこから逸脱するのが嫌というのもあったと思う。運動が苦手だった私の拠り所は「お勉強ができる」自分。


大人になった私

高校は進学校であり、そこは私よりお勉強ができる人がいっぱい。そんな中では、私は全然優等生じゃなかった。その辺りから私の自由な人生が始まる。だって「勉強ができなくても恥ずかしいことなんかない、教師もそれほど叱らない」と分かったから。

高校で「勉強のできない私」デビューを果たし、かなり楽になる。大学に進学したら、更に楽になった。こちらはお勉強云々ではなく、生活、自分を律すると言うことについて。県外の大学で1人暮らし、ダラダラした生活をしようと思えば、際限なく自堕落になれる環境。そこで「私はここまで駄目になれる人間なんだ」「それでも案外困らない」と知った。

就職してしまえば、自分よりできる人もそうでない人もいる。もの凄くやりたいことを仕事にしている訳でない私、年を追うごとに「最低限のことしかしない」タイプの社会人になっていく。今の職場でもミスしまくり。それでも、いろんな人がいても回るようにできているのが大人の社会、私も首にされることもなく働くことができている。


相方の歩み

一方、前述の通り「やりたくないから宿題しない」子供だった相方。教師に説教されても「私の人生なんだから、あなたごときに口出しされる覚えはない」と思っていたらしい。恐ろしい小学生だ。さすがに親から言われるとちょっとは考えたらしいが、相方のご両親は「学校の勉強」にそれほどこだわりのない方々だったようだ。

そんな相方もそれなりに受験も通過し、特に問題児ではないよくある学生時代を過ごす。就職してからは、極めてミスの少ない事務員となる。「やりたくないからしない」ではお給料もらえないもんね。やるからにはきっちりやるところが、ミスだらけの仕事をする私とは違うところ。


結局のところ、あんまり関係ない

優等生だった私は、大人になれば転職しまくりの人生で、仕事も半ば適当にこなす人生。方や宿題しなかった相方は、就職して20年辞めずに勤め続け、熱心というわけではないがミスはしない仕事ぶり。学校時代の成績なんて、私程度の優等生ならその後の人生にあんまり関係ないと思う訳だ。

そんなことより、子供時代に「外からの評価に関係なく自分のやりたいことをやる力」「自分が楽しいと思うことを見つける力」を育てたかったかも。 転職しまくりで好き勝手やってきたような私だけど、意外と自分のやりたいことがよく分かってなかったし、もしそれが見つかっても挑戦しようなんて思わなかった。

相方は就職して20年かかったけど、自分のやりたいことを見つけそれを実現する決心をした。初めにそれを言い出した時は「夢物語の冗談でしょ〜」と私も相方本人も思っていたけどね。私もそれに引きずられるように、ぼんやりではあるが夢を目標にしようとしている。相方の決心がなかったら、今抱いている私の夢も夢にすらならなかったと思う。


子供時代にすべきなのは

よく「日本の教育は個性を育てない」とかいろいろ言うけど、そういう話をここでする気はない。あんまり詳しくないし。でも「無理にやりたくないこと、しなくていいんじゃいのかな?」「それよりは、やりたいことを見つけることの方が大事じゃないのかな?」とは思う。今みたいに、親の監視の下に宿題やったり、教師が管理しやすい子供が褒められるような学校なんて、本当に勉強の好きな人間を育てないよね?

だいたい大学行かないと大きな会社に就職できないとかあるけど、大学で学んだことを職場で活かしてる人ってどんだけいるんだよ。 大学なんて、本当に研究したい人、高等教育が必要な職業に就きたい人だけが行けばいい。本当に優秀な人に社会資本を集中することができれば、日本の大学のレベルはもっと上がるのではないのか?

勉強ではないことが したい子供には、他の何でもいいから、やりたことを追求する力をつけさせてあげてほしい。絵を書く、運動する、歌を歌うなんてことでもいいし、大人が商売としてやるようなことでもいいと思う。ただ、やろうと決めたことはやり通すとか、やりたいことを形にするための方法を考えるとか、そういうことを大人が導いてやる。教育ってそんな風では駄目なのかな?

私の文章に少しでも「面白さ」「興味深さ」を感じていただけたら嬉しいです。