見出し画像

世の中に「絶対」はない。でも、私の数だけ「私はこう思う」はある。

具体的に文章に起こすことが今の私には難しくて怖いので、かなり抽象的な話になることを、先に言っておきたい。

産休に入ってから、ニュースをゆっくりと見る時間が増えた。
テレビ局が編集したニュースや、新聞社が編集したニュース、ネットメディアが編集したニュース……、一方通行に編集された(と感じる)情報に悲しい思いをしたり、憤りを感じたりしている。

「………かもしれません」
「きっと………だったんだろう」
「……の可能性がある」

事実は誰も分からないことを、メディアが憶測で話すことや伝えることに対して、事件とは無関係な一人ひとりが「きっと……だったに違いない」「絶対……が悪かった」と決めつけていく。
私自身もその一人で、一次情報ではない直接見ていないもの、感じていないもの、聞いていないものを、私なりに解釈して思う意見や言葉がある。

私は、ネットニュースのコメント欄をよく読んでしまう。
自分の意見と全く違う意見を持った人がこんなにもたくさんいるということがわかるからだ。
憶測で話す人、決めつけて話す人、自分の実体験を話す人、ただ批判する人、論点がずれた話をする人……。ネットニュースのコメント欄にはたくさんの「私」がいて、そのどれもが「私はこう思う」を主張している。
匿名だから言える「私はこう思う」も多くて、自分が理解し得ない価値観を持った人が世の中にはたくさんいることがわかる。

そういった、たくさんの「私」の主張を見るたびに、私にとっての「絶対」はあっても、全員にとっての「絶対」ということはないのだと思う。
そして、私にとっての「絶対」も、絶対ではないのかもしれない。

だから、「私はこう思う」という意見を持っておくこと、そして、それを伝える勇気を持っておくこと、それを他人に押し付けないことは、これからも大切にしたい。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?