柳の下の泥鰌

卑屈、悲観、阿諛、陰気、字引で探せば幾らでも溢れ出てくるようなネガティブな語彙、言語が誕生し、我々の先祖が涙する毎に鼠算的に増殖した不遇の言葉。
涙と泥で形作られたような僕ですが、どうやら不思議にもそのような僕を好いてくれる人間が幾許かいるようなのです。本当です。お粗末な僕の自意識からでた嘘などではないのです。あなたは多分虚勢だと思っていらっしゃる。分かるのです。信用とは命綱のない綱渡りのようなものですから。信じて貰わなくとも構いませんが、僕は自身の利になるような嘘はついたことなんて一度もないのです。否、何度か身に覚えがあります。それでも、誰かを深く傷つけるような裏切りではなかった筈です。否、それさえもわかりかねますが、小さくとも膿のように惨たしい、一度完治したと思っても、ただ瞬きをしただけで、次は身体を蝕むような、狡猾な意思を持ったような嘘をついたかもしれません。分かりません。もう分かりません。ですが、よくその私と友好的な関係を保ってくれている人からよく、"面白い"と言われます。いつからでしょうか、皆がそう言うようになりました。幼年から親戚や両親、周りの大人からもそう言われていたような気もしますが、何よりそれは、僕にとって最高の賛辞でしたので、その言葉が自身に向かっているのを感じる度に、存在意義を認められた様な気さえして、時には優越感、なんかも感じたり、それに浸ったりと、自己肯定が階段がならば、僕にとっては、自身のエンターテイメント性が最初の一段と言った所なのです。
笑わせられれば、他人が僕の存在を許してくれると思いました。そして、僕のその安直な祈りは幸運にも通じたようでした。世間という厳粛の象徴、その固くコブのように結ばれた口からも失笑が溢れたような気さえして、社会性が生んだ恐ろしい既存の価値観をこの身一つで組み伏せたような、そんな束の間の達成感に包まれました。しかし常々想うのです。僕がつまらない人間に成り下がってしまえば、彼ら彼女らの関心は、月下羽ばたく蛾のように、また新たな灯火に優雅に粛々と、しんとした闇夜の中飛び立って行くのではないかしら。そこには私1人なのです。それは"孤独"のような名誉な勲章ではく、無関心の海。延々と続く凪いだ海。生き物も脅威も存在せず、冷たさも温かさも、陽光も、雲もなく、ただ僕の意識だけは途切れることなく肉体を渦巻き、執拗な恐怖があるのです。僕はあの人達を捨てることなどしない、到底出来ないのに、あの人達はふと、飽き、退屈、倦怠の、そんな仕草をみせるのです。それがただ怖い。減点されている。何処で間違えた。今までに何度僕は間違えたのか。気をつけなければ、あの人が、彼の娘が、あいつが、望むものを供給できなければ、渡り切る前に綱は切れてしまう。もう既に擦り切れてしまっているかも知れぬのに。一挙手一投足全てに要らぬ力が入ってしまって、笑いどころではありません。泥のような汗が滲み出るのです。いけん、これじゃあ誰も好まぬ本質がみえる。あの興が醒めたような表情は無意識なのでしょうか。人間にしかできぬ顔。それとも僕の思い違いであって欲しい。どうかそうあって欲しいのです。着古した服を最後にはぞんざいに扱い、捨ててしまうような、それも名残惜しさなどの慈愛の心は、あの淀んだの目から感じ取れないのです。僕の醜悪さを愛してくれる人は、とか書きかけて気持ち悪いと思いました。愛す。ではない。適当に扱ってくれる人でしょうか。分かりません。断定は僕が一番に嫌いなものですから、分かりませんと書きます。駄目だ、私という人間はもう駄目だ。もう興醒めです。

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