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創業してから崖っぷち。〈その四・了〉

まだ続いているよ…

2023年9月現在…畳んでおりませぬ。
崖っぷちを歩んできていて、まだ崖っぷちにいますが、落ちちゃいません。

落っこちなければどうということはない。

いや正直猶予をもらっただけなのですが。
5年目の半分が過ぎたところで、パンデミック中に撒いていた種が幾つか目を出してくれました。赤字解消も近いはずです。😊
でも崖っぷちを歩むのは変わりませんが。

当初5人だったメンバーも3人に落ち着き、歴史まちづくりのブランドづくりを通して、当初の目的へ辿り着こうとしています。

戦国城下町を見直すお仕事

戦国時代城下町のイメージといえば…

まぁだいたい上図のようなイメージを浮かべるかと思います。しかしこのイメージは江戸後期〜明治・大正の町であって、戦国時代の城下町ではないのです。

これがどこに影響してくるかといえば…町並みを再現をしたときに江戸の印象を残した昭和初期になってしまいます。
ところが戦国時代の武将が治める城下町を売りにしている場合、城郭を復元しようとした場合、ほぼ江戸期の姿になってしまいます。
(記録が少ないから)
そして観光動機となるはずの城郭ですが、戦国武将が売りなのに江戸期の城郭を復元した場所となり、おもてなし武将隊の「我が城にようこそ!」といったセリフが恥ずかしくないのか? ということや、欧米インバウンドの旅行者をはじめ、ヒストリアの方たちは学習しに来訪するわけですから、チグハグなことをしているエリアの訪問プライオリティは当然下がるでしょう。
Z世代を始めとした新しい価値観を持つ世代に観光客もシフトしているのでこの考え方はかなり合致していると分析しています。
もともと戦国の天守の姿を残す犬山城や備中松山城、戦国時代を忠実に再現しようとしている一乗谷朝倉遺跡などと戦うことになります。
むしろ一乗谷戦国城下町復元の姿勢を貫く影響は、これからじわじわ広がっていくことになるでしょう。
そのため中途半端な状態を放置しているのはよろしく無い…とのことから、某所の戦国城下町ブランディングプロジェクトが決定しました。

まさに現在分析を続けていますが、現代に残る城下町をうまく整合性を取ってブランディングできるか否かで、この事業がうまくいくかどうかの瀬戸際となると考えています。

とりあえず頑張ります

手探りが多いプロジェクトですが、観光資源のリブランドが必要な昨今、やれることをコツコツやっていきたいと思います。
まだまだ崖っぷちを歩んでいるのは変わらないですが…。


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