批判に責任を持て
こんにちわせりん、わせりんです。
Mリーグの批判をまたやってくれ、noteまだですか?と
ことあるごとに聞かれてます。お久しぶりです。
2024年、頑張っていきたいなあと思ってはいるんですが、最初に何をしようかと考えた時に、私が皆様に知られるようになったGENTENであるnoteを投稿しようと思い立ちました。
私からみなさまへのお年玉ですので無料です。初詣の参拝のように私に感謝してください。
今回の内容は単なる苦言です。
誹謗中傷がどうだだの、法的訴訟だのに怖気付いたり、そういう人たちに気を遣いすぎて Mリーグ関連のnoteや記事がぜーーーーーーーんぶつまんないよねって話です。
新年早々に苦言ですか・・・と苦言を呈したくなった人は読んでくださいね❤️
嫌われない表現をするな
最近、Mリーガーの打牌や何を切ったかのnoteや記事ってたくさんありますよね。
そのような記事を見ると度々思うのですが、「みんなに嫌われない」とか「自分に批判が向かない」を意識しすぎて記事としての意味を成してないものが多すぎます。
例えば、
A:残り筋が2~3本と少ない状態で1000点の両面テンパイから終盤に相手の親リーチに無筋を切って12000点放銃した。
B:東一局に8000の放銃をしたので、取り返そうと東二局に安手の3シャンテンから親リーチに対して無筋を切って12000点放銃した。
この二つの事柄に対して打牌の是非を含めた文章を書くとします。
ここで注目してほしいのは、AとBの悪い度の違いです。
場況がどうだとか、持ち点がどうだとか、チーム状況がどうだとかそういうのは一旦黙っていただいて、パッと見でどっちの方が悪いかを考えた時、Aが10悪いくらいならBは100悪いくらいあります。
そして、何らかの記事を書く人間はこの悪い度を責任を持って表現する。
そこに、noteや記事の文章としての価値や面白みが出てくると思っています。
もっと具体的にしてみます。
昨今のMリーグに関する記事のモノマネです。
Aに対して・・・
1000点の両面テンパイは親相手とは言えそうそうオリれるものではない。リーチ棒を含めて2000点の収入、そして相手の親リーチを蹴って局を進めることが出来るのだ。
無情にも13巡目に切った5pが12000の放銃となる。
確かに、残り筋が25p、36m、69pの三筋しかなく5pは相当危険である。 オリの選択肢もあったのかもしれない。結果は最悪に終わったものの、この半荘は絶対にトップを取ってやる、そんな静かな闘志を感じた一打だった。
Bに対して・・・
東一局に8000を放銃して、取り返すぞと意気込んでいた時に親リーチがかかる。安手で3シャンテンとはいえ形はいい。
無情にも中盤にこれくらいはと切った8mが12000の放銃となる。
確かに、テンパイからはまだ遠く、高い手でもないのでオリの選択肢もあったかもしれない。結果は最悪に終わったものの、少しのアガリも逃さずに絶対にここから復活してトップを取ってやるという貪欲さを感じた一打だった。
・・・何が言いたいんだ!!!!!!!!笑
まあ少し誇張してるかもしれませんが本当にこんな記事が多すぎます。
確かに、一つ一つの記事を見てみると何かそれっぽいことを言って表現していると錯覚してしまいますが、比較してみるとその実は何か言ってるようで何も言ってません。
私なら、同じようなテイストで記事を書くとしても
Aに対して・・・
1000点の両面テンパイは親相手とは言えそうそうオリれるものではない。リーチ棒を含めて2000点の収入、そして相手の親リーチを蹴って局を進めることが出来るのだ。
無情にも13巡目に切った5pが12000の放銃となる。
確かに、残り筋が25p、36m、69pの三筋しかなく5pは相当危険である。相手が親で自分の手が1000点ならば、オリた方がいいだろう。大きく損というわけではないが良くない押しをしてしまった印象だ。
Bに対して・・・
東一局に8000を放銃して、取り返すぞと意気込んでいた時に親リーチがかかる。安手で3シャンテンとはいえ形はいい。
無情にも中盤にこれくらいはと切った8mが12000の放銃となる。
職業は何なのだろうか。麻雀プロである。麻雀の「プロ」だ。
いくら8000点のビハインドを抱えてたとはいえ、こんな放銃はプロとして許されない。それくらいヒドいものだ。
見るものを悪い意味で驚かせた2023ワースト押し引き賞の大賞受賞おめでとう。
表現の上手さとかは別にして、どれくらい悪いかの濃淡はこれくらいの差はつけます。そして、このくらいきちんと書く方が、読者にとって真にわかりやすい、楽しい記事だと思っています。
確かに、巷に蔓延るような表現をすれば誰からも非難されないし、自分に対して誹謗中傷だ!という声もなくなると思います。
対して、私のような表現をするとすぐに非難の声はあがります。
ですが、見えない非難を恐れ、誰もが不快に思わない文章を書く人ばかりになって、どの記事も何か言ってるようで言ってない記事、おべんちゃらばかりの提灯記事ばかりになった時に、そこに面白さや有用さは残っているのでしょうか?
私は何も大袈裟に表現して人の目を惹けだとか、強い言葉で批判しろと言ってるわけではないです。
ある事柄、ここでは打牌ですが、それを題材に文章を書くときに適切な表現をしてくれと言ってるのです。
そして、そこをどう表現するかやどのくらいの規模感にするか、そういったことが記事としての個性を生み、コンテンツとして面白いものになると思うのです。
NAGAなんかに頼るな
話の続きになるのですが、Mリーガーの打牌をNAGAの解析にかけて、ニシキは打3pを支持していますとか、全てのタイプで打6mがいいですねとか、5mが一番いいですが2mもバーが伸びていますとかそういう記事が多いですよね。めっちゃ見ます。
それはそれで、知りたい人いると思いますし、ためになる記事だとは思います。
でも、これって自分の記事の発言に責任を取らなくなった側面があるとも思ってます。
みんな怖いんでしょう。麻雀って曖昧な競技ですから例えば押し引きで押すか引くかみたいなのをいくらデータを用いて考えたところで人間の主観が入るので「絶対的な答え」はいつまで経っても出ません。
そんな悩みを解消してくれるのがNAGAです。
NAGAだけは視覚的にどれが推奨かどれが非推奨かを教えてくれます。
そして、記事を書く人は安心します。ああ、やっぱり自分の思ってることはあってたんだ、NAGAが言ってるんだからと。
そして意気揚々と記事を書くのです。NAGAという強力な後ろ盾のスクショと共に。
最後に
私が記事を書き始めたときはNAGAのような知名度があってみんなが使えるAIはありませんでした。
なので、自分の記事を書くときはいつも不安でした。
ですが、不安だからこそ書く記事の正確性に関してはめっっっっっっっっっっっっちゃ調べたり、色々な人に意見を求めたりして自分の責任のもと自分の意見です!ってことで記事にしてました。
このような検証を続けていると、自然と、切り取った局面に対して自分で正確な答えを出せるようになって行きましたし、どんな問題に関しても自分の意見を持てるようになっていきます。
そして、これが一番大切なことなのですが、自分が時間をかけてきちんと考えた結論なので「一番いい表現方法」で表現しようとします。
これこそが熱意と呼ばれるものかもしれません。
勘違いして欲しくないのは、NAGAを使うなと言ってるわけではないです。有用なツールはどんどんと使えばいいと思います。
ただNAGAに頼ってしまうとNAGAがまだカバーできていない部分の記事を書けなくなります。
そして、NAGAで検証したらこういう結論でしたって記事ばかりになってしまいます。
私が記事を書いていたときに思ったのは、確かに正確なこととか裏付けがあることは大事です。
でもそれと同じくらい大事なのは、あなたはどう思っているのか、どんな感情になったのかです。
そういった個々の書き手の個性が寄り添った形で打牌の是非をきちんと論じるからこそ、読む側は楽しく、ワクワクしながら記事を読むんだと思います。
だから、間違っててもいいので勇気を出して自分の思ったことを書いてみましょう。
色々な人の忖度のない考えや、個性がきっと麻雀というコンテンツをもっと面白いものにしてくれるはずです。
久しぶりの文章でしたが明らかに書く能力が衰えているのを痛感しました。
次の記事はまた来年になるかもしれません。今年書けって人はリツイートとかで拡散してあげてください。
さよならわせりん。