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見て、聞いて、生まれるもの

かけた櫛のような松林、取り残されたような更地。建物は海に向かうほど工場一色となっていき、生活の香りが薄れていく。そんな風景をタクシーの窓越しに眺めていた。

タクシーの運転手さんは、生まれも育ちも「この地」の人だった。仙台を走る地下鉄東西線の終点・荒井駅でタクシーを掴まえた私が、「目的地」を伝え、タクシーに乗っている十数分の間、ここで起こったことと今も続いていることについて、いろんな方面から教えてくれた。「せっかく来てくれたんだから、ここの話をしないと。取材で? 気にしなくていいよ。どんな理由であれ、人が来てくれることが嬉しいんだから」と。

仙台市若林区の荒浜地区は、東日本大震災で大きな被害を受けた地域のひとつ。3月11日、昨日、私は荒浜の海に来ていた。仙台をホームとするプロバスケットボールクラブの黙祷を取材するのが目的だった。

荒浜駅からタクシーに乗ってすぐ、運転手さんは「今日は天気が良くていいね」と言った。連日雨が続いていた仙台は久しぶりの青空。「そうですね、天気が良くて……こんな日ですけど、天気が良くて、えっと」「良いことだね」「はい」会話はこんな感じで始まった。「間違わないように」を気にする私に、運転手さんはいち早く気づいたのだ。会話の主導権を握ってくれた。

「工場しかないでしょう」
「はい」
「ここは震災以降、危険区域になって、今でも人が住めないの」
「そうなんですね」
「松林もごっそり津波で持っていかれちゃって。墓も」
「お墓?」
「父親と母親の墓も持っていかれて、遺骨まで亡くなっちゃったの。だから墓土でもう一回お墓をつくった」
そうだったんだ。すでに亡くなった人まで、被災したんだ。私は視線を、窓の外から運転手さんに移した。そのとき、目尻に深く刻まれたシワからだいぶご高齢なことがわかった。だけどそのシワが、年齢を重ねたものだけじゃない気がしてならなかった。何も知らないまま、のこのこやってきた私では予想もできないところでたくさんしたであろう苦労、そしてきっと今も続いている苦悩が運転手さんの体に刻まれているんだ、と。

けっきょくタクシーが目的地である「荒浜の慰霊碑」に着くまで、私はロクなことを言えなかった。言葉にすべきことの見通しも立たなかった。聞くことに徹する、それが一番マストだと判断し、終始そうしていた。何もできないからって、何もしなくていい理由にはならない。だから聞いた。聞いて、見て、せめてそれらを言葉にして、届けなくてはいけないといけないと思った。

被災地は、まだまだ復興途上であること。大地震が奪ったのは生きている人の命だけではないこと。荒浜の海には今でも震災の日に、渋滞になるくらいたくさんの人が訪れていること。

聞かないと、言葉も出てこない。見ないと真実を書けない。

3月11日。この日を自分の言葉にするのに、私はまだ本当に何も知らないのだと思った。

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                             (小山内)

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