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「だいやめキッチン」のラキブラが渋谷から鹿児島に拠点を移そうと思ったきっかけとは【ラキブラ×鳥井】(1/4)

どうも、くいしんです。

2017年、秋。

「灯台もと暮らし」を運営する会社、株式会社Waseiの代表・鳥井が初めて鹿児島に行きました。

目的は鹿児島市内にあるウェブ制作会社、株式会社Lucky Brothers & co.(ラッキーブラザーズ、通称ラキブラ)へのインタビュー。

その際に行ったインタビューの内容は雑誌『TURNS』に掲載されています。

・参考:雑誌「TURNS」連載 第16回 Lucky Brothers & co.に「本社を鹿児島に移して見えてきたこと」について聞いてみた。

ラキブラは、株式会社Waseiのコーポレートサイトをつくってくれた会社でもあり、鳥井やWasei、僕とは、数年前からのお付き合いです。

収録から半年ほどが経ち、語り手のラキブラのおふたりの気持ちは変わっているところもあると思いますが、せっかくなので、あくまで2017年秋頃のおふたりの想いの記録として、上記の記事では伝えきれなかったインタビューの全体像を本日から全4回で連載していきます。

・参考:ラキブラが運営中のサービス「だいやめキッチン」


◯ラキブラはウェブ制作会社?

鳥井 まずは改めてですが簡単に、自己紹介をお願いしてもよいでしょうか。

田島 我々、ラッキーブラザーズという会社です。

最近設立から1年経ちまして、2期目を迎えました。もともと鹿児島の高専の先輩後輩で僕が2個上です。高専を出て、編入して大学に進む人が10%くらいいるんですね。大学へ行く人は少ないので、編入組みたいな感じで先輩後輩もつながったりするんですよ。そこでつながったのがふたりの出会いです。

業界も同じウェブで近かったので社会人になってからも連絡をよく取り合っていて。それで仲良くなりました。社会人になって3年目くらいに、最初、僕はフリーとして独立しようと思っていたんですけど。それを周りの人に言ってる中で、下津曲にもその話をしたら、一緒にやりたいということを言ってくれて。一緒にやろうと思って作ったのが今の会社です。2016年の7月ですね。

(※収録は2017年の秋ごろ)

鳥井 早いですねえ。ラキブラは事業的には何をやってる会社って伝えればいいですか。

下津曲 基本的には、ウェブ制作会社です。

鳥井 基本的にはってことは、それだけには見られたくないっていう感じですかね。

田島 そうですね。将来的には今日紹介させてもらおうと思っている焼酎事業の「だいやめキッチン」を伸ばしたいと思っていて。今の実績だと売り上げはウェブ制作以外だとゼロですね(※取材時はまだだいやめキッチンのサービススタート前だった)。そういう意味だと今のところはウェブ制作会社という名目なんじゃないかなと思います。

鳥井 クライアントさんは東京と半々くらいですか。

田島 半々もないです。東京がほとんどで、9対1くらいですね。

鳥井 東京の仕事は、どうやって入ってくるんですか。ブログとか読んでくれてってところですか。

田島 まったく新規の初めての人はあまりないですね。僕はもともと大学もそういうクリエイターを育てる大学だったので、卒業してフリーランスでやってる人が周りにちらほらいて、そういう人から仕事が来たりとか。あとは、前の会社の繋がりとか、知り合いづてで来ることが多いですね。

鳥井 鹿児島の案件はどうやって来るんですか。

田島 こっちに来て一番最初に、クリエイターズオーディションっていうイベントがあって。それはドンピシャなイベントで。僕らみたいな制作会社とかフリーランスの人とかが企業の製作担当の人がいろいろ集まってる中でプレゼンして、そこでマッチングするっていう機会があって。

僕らがこっち来て2日後とかそういうレベルでたまたまあって参加させてもらって。そこで初めての仕事が決まったりとかありましたね。そういう1件2件を着実にこなしていって、その人が次の仕事を紹介してくれたりとか。


◯鹿児島に拠点を移そうと思ったきっかけ

鳥井 鹿児島に移ろうと思ったきっかけ、そこまでの経緯を教えていただいてもいいですか。

田島 会社をつくった時点で、2年後くらいに地元の鹿児島に戻ろうっていう話はしていて。会社をはじめてから半年くらい経ったときに……毎月末に反省会をやってるんですけど。10月くらいだったかな、下津曲が「もうそろそろ早いけど鹿児島行っちゃってもいいんじゃないか」みたいなことを言い出して。

そのときは下津曲がひとりで行くって話だったんですけど。なかなかそれは難しいんじゃないかと思って。ディレクターが鹿児島にいて、東京の仕事をやってみたいな。打ち合わせはディレクターおらずみたいなのって非現実的だなと思って。だったらもう、一旦どっちも鹿児島に行こうということにして。それを決めたのは10月くらいでした。

大前提として「人を増やしていきたい」という気持ちがある中で、東京で採用活動してみて、「いつかは鹿児島に戻って鹿児島の会社になろうと思ってる」みたいなことを言うわけじゃないですか。そしたらやっぱり伝わらないですよね。東京の人からしたら「この会社、鹿児島行っちゃうの?」って話ですから。

たしかにその順番っておかしいなって考えて。まずは鹿児島で地盤を築いてから、そこから東京にハブをつくっていくっていう順番が正しいなというのが大きな気づきとしてあって。それが移るきっかけですね。

鳥井 しもつくんはなんで10月頃に突然、鹿児島に戻ろうと言い始めたんですか。

下津曲 四谷で鳥井さんとくいしんさんとハンバーガーを食べましたよね。

鳥井 ありましたね。会社を立ち上げて、すぐの頃ですよね。

下津曲 鹿児島に戻ろうという気があるんだったら、ちっちゃくても何かステップを踏むべきだっていうのを鳥井さんがおっしゃってて。それはずっと引っかかってたんですよね。その気持ちを持ちながらずっと渋谷でやってたんですよ。3か月くらい。

あるときふと「ずっとこの状況だと、いつまで経っても戻ることはないんじゃないか?」と疑問が出てきて。売り上げもある程度見込めてきた状況だったので、行けない理由はないなと思ったんですよね。「今、行けるじゃん」って気づいたんです。

田島 売り上げの面が大きいかもしれないですね。最初東京でやったのは、ある程度東京にコネクションがあったから、そこでやるのがやりやすいだろうと思って。鹿児島にいきなり行っちゃうと、ゼロからのスタートで、3か月で潰れるんじゃねえかみたいな(笑)。

それが思ったより早く、これは鹿児島に移っても東京の今やってる仕事のつながりを使えば、リモートでも引き続きやれそうだなと思ったから、じゃあ行こうっていうのが大きいかもしれないですね。


◯鹿児島に行くときに不安はあったかなかったか

鳥井 そのタイミングで鹿児島に行くことに対して、怖さとかはなかったですか。不安な点とか。

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