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早稲田卒ニート147日目〜高校弓道の時代〜

どうやら今、国体のブロック予選会の時期らしい。本国体の前、通称「ミニ国体」である。東北からは6県中2県が本国体へ駒を進められる。私も高校2年生のころ、控え選手として選抜していただいた。無論、実力で選ばれたのではない。選考会では20射して13中しかしていない選手が、実力で選ばれるわけがない。あくまで、来年へ向けた経験としての選出である。そのときはそんなこともわからず、1人だけ2年生で選ばれたことに自惚れていた。

当時のミニ国体は福島県の開成山弓道場で行われた。我々宮城県少年男子は本国体へ進むことができなかった。それは散々な結果であった。ほとんど勝負にならなかった。そのとき、来年は私が宮城県チームの中心として、何としても本国体へ行って優勝することを強く誓った。そうして高校時代は勉強などそっちのけで、弓道で日本一を獲ることに本気だった。

朝も昼も夕方も、いち早く道場へ行き、部活が無い日も県の弓道場を借りて練習をし、国体で一緒になった成年チームの方々と共に練習に混ぜていただいていた。実は弓道世界大会優勝チームの1人は宮城県の人で、その世界チャンピオンもいつも同じ空間にいて、凄まじい弓の引き様をこの目で見た経験に代わるものは無い。こんな経験ができている高校生は私を措いて他に誰もいない。来年は、私が少年チームをどうにかしないといけない。情けない宮城県を晒すわけにはいかない。

そう思い詰めていた矢先、である。精神病にかかる。弓道には精神病が2つあり、機が熟す前に矢を離してしまう「早気」と、いつまでも矢を離すことができないままでいる「もたれ」である。早気はほとんど誰しもが通る道で、私もそれ以前に経験して乗り越えた。が、今度はもたれである。射法八節が順に移ろいゆき、さあ離れ、というときに、いつまでたっても矢が離せない。何百射しようとそれが治らない。窮状に陥った私にみなさんは射型のアドバイスをくださった。すなわち身体の問題として捉えられたのである。が、これは身体ではなく精神の問題である。その証拠に、いつまでもしがみついて離せなかったはずの矢が、目を瞑った途端に金縛りから解かれたようにして飛んでいくのである。それからしばらくは、目を瞑って矢を離していた。この「もたれ」が、結局最後の大会まで治らず終いであった。

原因はハッキリしている。エゴイズムである。思えば私は執着心の強烈な性格であった。それ以来、所有の放棄ということが、ひとまず大学生活のテーマとして現れた。しかし、何かを手放すのだから、これは辛く苦しいことである。それでもこれを克服しない限り、私の弓道もろくなものにならない。所有から共有へ。自から他へ。どんなわずかな行為にも、その魂を込めた。

大学生活は辛い。やがてわかった。最後は、自分自身を手放せるかどうかである、と。遺書にもそんなことを書いた。結局生き延びることにはなったが、あの経験は、確かにそれまでのエゴイズムをいくらか超越するキッカケとなった。

まだまだ、である。生きている間に解脱できるわけではない。が、その過程をこそ謙虚に踏み締めることだけが、ダメ人間に許された唯一の歩むべき道なのである。

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