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早稲田卒ニート179日目〜良心的であること〜

人通りのない夜の小径、駅から自宅までの道のりの退屈さを紛らわすために煙草をふかしながら歩く。歩きタバコを、私も昔は強烈に嫌悪していた。予備校からの帰り道、自転車を漕いでいて、向こうから歩きタバコをしたサラリーマンがくると、そいつに唾を吐き掛けたりもしていた。歩きタバコに対する罪の意識は無いのか。そんなことを思った。その歩きタバコに対する罪悪感というものを、いつからか失って久しい。

神との契約による関係としての自己を生きてはいない私が、罪の意識を伴いつつ自律的に生きようとするとき、そこに良心が求められる。或いは、神とは別の、目に見えぬ「他者」との関係を生きるという自覚を持つことが求められる。尤も、それはいつまでも「他者」であって「超越者」ではあり得ぬところに、この関係の難しさがある。

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