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うらかたり 第6話

裏方が語る舞台の裏側の物語『うらかたり』と題して、どらま館制作部技術班の渡部と中西が、制作部週間内で毎日更新するnote記事企画。
第6話は昨日に引き続き中西が担当します。

最終回の今回は毛色を変えて、実践というよりは少し概念的なお話を。

谷崎潤一郎『陰翳礼讃』についてです。

この文章、コラムみたいな読みやすい文章なのでぜひ読んでみてください。

その基本構造は、東洋、特に日本の光における美の感覚を例示と共に示していくものです。日本家屋とゴシック建築の比較、蒔絵の漆器と日本料理の調和などの例が挙がっていますが、まとめると言いたいことはこういうことだと思います。

われ/\東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。「掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり」と云う古歌があるが、われ/\の思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。

(やたら東洋的美を偏重する書き口にしっくりこない部分もありますが)その指摘するところは、現代の舞台照明に重要な示唆を与えるものだと思います。

というのも、谷崎は以下のように書いているのです。

それから、これは私一人だけの感じであるかも知れないが、およそ日本人の皮膚に能衣裳ほど映りのいゝものはないと思う。云うまでもなくあの衣裳には随分絢爛なものが多く、金銀が豊富に使ってあり、しかもそれを着て出る能役者は、歌舞伎俳優のようにお白粉を塗ってはいないのであるが、日本人特有の赧あかみがかった褐色の肌、或は黄色味をふくんだ象牙色の地顔があんなに魅力を発揮する時はないのであって、私はいつも能を見に行く度毎に感心する。
私は色の調和が作り出すかくの如き美が他にあるを知らないが、もし能楽が歌舞伎のように近代の照明を用いたとしたら、それらの美感は悉くどぎつい光線のために飛び散ってしまうであろう。

この文を読むと、舞台照明のデザインを考えるときに、一旦立ち止まる気持ちになります。

演劇の照明において、その役割はデザインそのものの美しさではなく、舞台上の俳優をより良くみせることにあります。ただ、様々な機能があって隈ひとつなく照らすことができる機材が増える中、俳優の息遣い・筋肉の緊張・目に籠る何かの蠢きを、かき消さずにいるのはかえって難しいのです。

かつて谷崎が見た能役者と同じように、俳優の持っている魅力を最大限に引き立てるような照明ができたらいいな、と思い、頭を抱えて仕事しております。それがまた悩ましく面白いところです(毎回こういう閉じ方をしてしまいます…)。


さて、『うらかたり』全6回は今回でおしまいとなります。いかがだったでしょうか?

少しでも照明の工夫や考え方について知ってもらえたり、興味を持っていただけたら、とてもうれしいです。

6月は開催できませんが、どらま館技術班は、2か月に1度開催する照明講習会を始め、演劇のスタッフを支える活動を実施していくので、今後もぜひよろしくお願いいたします!

それでは、お付き合いいただきありがとうございました!

今度はどらま館で、直接お目にかかりましょう!


【参考・引用資料】

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎 青空文庫https://www.aozora.gr.jp/cards/001383/files/56642_59575.html(底本:「陰翳礼讃 改版」中公文庫、中央公論新社)

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