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3/3 【ワークショップ】好きなのをつくる(春)

「おいでよ どらま館」について

どらま館では2024年2月末~3月頭に「おいでよ どらま館」と題して、さまざまなワークショップや上映会をまとめて開催します。どらま館noteではその各企画の詳細について紹介しています。「おいでよ どらま館」全体については以下のHPをご確認ください。


企画概要

ワークショップ「好きなのをつくる(春)」では、参加者それぞれの〈好きなの〉──ものすごく好きじゃなくても〈ちょっと気になるの〉とか〈なんか良いの〉でもまったく問題ないです──をシェアして、それを参加者同士でよく見て、聞いて、触って、遊んで、そのつくり方を探ります。

〈好きなの〉は何でもアリです。アニメ、映画、演劇、おもちゃ、音楽、絵画、クイズ、ゲーム、散歩、詩、写真、小説、数学、スポーツ、旅、ダンス、彫刻、デザイン、哲学、TikTok、テレビドラマ、動植物、パフォーマンス、美術、ファッション、武道、本、マンガ、YouTube、料理、歴史などなど…...。「こんなのもありですか?」と質問いただくことがありますが、ダメなのはマジでひとつもありません。

〈好き〉とか〈気になる〉〈良い〉から、それぞれのつくり方を参加者で取り出してみて、そこから実際に何かつくってみましょう。

対象

  • つくることに関心のある方。

  • 何かをつくってみたいと思うこともあるけど、どこから手を付けたらいいのかわからない方。

  • 何かをつくるとき、他の人はどうやってやっているのか気になる方。

担当

浜田誠太郎(はまだ せいたろう)
1996年生。俳優、演劇研究。どらま館制作部。現在、早稲田大学大学院文学研究科表象・メディア論コース博士課程所属。研究の関心は20世紀ロシアの演劇論の思想史的背景とその実践の記述。どらま館制作部にて読書会やワークショップなどを企画・運営。

日時

3月3日(日) 13:00〜18:00
※適宜休憩をはさみます。
※途中参加不可です。見学は可能です。

会場

早稲田小劇場どらま館 2F劇場

定員

最大12名ほど

参加費

無料

予約

お問い合わせ

お困りのことなどございましたら以下のメールアドレスまでご連絡ください。
waseda.dramakan.group@gmail.com(「おいでよ どらま館」担当)


もっと詳しく

2年ほど前から「好きなのをつくる」というワークショップをどらま館で企画・実施しています。この春も、やろうと思います。

参加される方には〈好きなの〉を事前に共有いただきます。企画概要に書いたように何でもアリです。ただ、タイトルや紹介文のようなものだけではなく、たとえば小説ならテキスト本文、映画や音楽なら映像・音源それ自体をもってきてください。もちろん、可能な範囲で大丈夫です(具体的な共有の仕方は予約者にご連絡します)。

以下の3つが大きな方針です。

  • ものやことに戻る

  • わけてならべて遊ぶ

  • バレずにパクる方法を見つける

この方針を使って、なにかをつくることに繋げていければと思います。
みなさまのご参加お待ちしています!


以下は企画へ向けた紹介を少し詳細に書いたものです。ご関心あれば。



〈つくる〉ことに対して、〈ひとりで机に向かってウンウン唸ること〉みたいなイメージを持っている人がいるかもしれません。もちろんウンウンする時間はあります。しかし同時に、なにかをじっくり観察したり、誰かの話を聞き、ときどき寄り道して、自分でもなにかについて話してみたりする時間も多く必要です。

これを言うと「そんなことを分かってるよ!」と、ときどき怒られます。わざわざ言うのが良くないみたいです。でもそう怒る人ほど、いざ一人でその時間をつくろうとすると取り付く島がなく、インプットと言ってやみくもにたくさん創作物を摂取しようとしたり、やみくも故に思ったより摂取できず落ち込んだり、結局机でウンウンしたり…。そして、それこそが〈つくる〉ことだ!と「生みの苦しみ」を強調してしまったりする。それを聞いた別の誰かは、つくる人を過剰に尊敬したり、自分でつくることは諦めてしまったりするのではないでしょうか。このイメージは連鎖します。

「なにかをじっくり観察したり、誰かの話を聞き、ときどき寄り道して、自分でもなにかについて話してみたりする」のは、一人でやろうとすると謎にハードルが高く、そして思ったよりもつまらないので挫折しがちです。ワークショップ「好きなのをつくる」は、これをなるべく楽で楽しく試すための練習メニューの一つとしてつくりました。自分の好きなものや気になっているものについてとりあえず喋ってみることからはじめますが、「正解」とか「鋭い見解」とかは必要ありません(むしろそれを出そうとすると練習が難しくなります)。参加者と観察を協力してすすめるゲームです。

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このワークショップは「ロマンが無い!」とか「悩んでいることを否定するのか!」と怒られることもたびたびあります。一見するとつまらない観察をとりあげると、意外と多くの人からいただく反応です。ただ、私はロマンも苦悩も否定していません。むしろ〈つくる〉ことにはどちらも欠かせない要素だとすら思います。

しかしロマンだけ、悩むことだけで、なにかがつくられることはないでしょう。たとえばある画家が「必要なのはロマンだけだ」と言ったとしても、やっぱりキャンバスと絵の具と筆は使っているし、色と形を組み合わせて絵を描いているはずです(ちなみに画家は嘘をついている訳ではないと思います。当たり前すぎるので言わなかったり、あえて言わないことで表現していることがあったりするのでしょう)。悩める小説家だって、文字や単語の組み合わせを、ペンやパソコンを使って順番に並べて文章を書いています。

こうわざわざ表現するとリアリストっぽく響くかもしれませんが、ここにもロマンや苦悩は当然あります。画家は色と形の組み合わせを、自分のロマンと照らしながら試行錯誤しているでしょう。そのために一部を消したり、白紙からやり直したりもしているはずです。小説家も、文字や単語を組み合わせて、自分で読んで、納得がいかなければ使う語彙や組み合わせを変えて書き直して、また自分で読む、ということを繰り返しながら悩んでいるはずです。「ロマンはなく、現実だけだ」などと主張したら、そういう試行錯誤すら無いことにしてしまう。そんなことを言うつもりはまったくありません。

先に書いたように、ワークショップ「好きなのをつくる」は練習メニューの一つです。「練習メニュー」というのはやることを限定してつくります。たとえば「キャッチボール」という練習メニューは、野球という実践のうち「ボールを投げて取る」にやることを限定したものです。キャッチボールに対して「バッティングは否定するのか!」と怒るのは少し変な気がします。「好きなのをつくる」は〈つくる〉という実践のうちの「観察する」と「人と話す」に限定したものです。

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〈つくる〉ことにロマンや苦悩はあります。ただ「それがすべてだ」と思えば思うほど、手足は動かなくなり、ただただ鬱々としてしまいます。手足が動いていないことで自分を責めたりもしてしまいます。「観察する」や「人と話す」はそこから抜け出す一つのステップです。しかし、このことは忘れられがちだし、一人でやろうとすると退屈で大変です。なのでこれに限定した練習メニューをつくりました。メニューになっていると持って帰りやすいからです。

また「観察」というと、科学的な、あるいはアカデミックな基準に合わせなきゃいけないような雰囲気がありますが、そんなことはまったくありません。自分の〈好き〉や〈気になり〉にとって必要なパーツとその組み合わせが分かればそれでいいので、なにか高尚な知識や批評は必要ありません。自分の観察に他人が協力して、自分も他人の観察に協力することで、それぞれの〈好き〉や〈気になり〉のつくり方を見つけていきましょう。


2024年01月31日(水)
浜田誠太郎


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