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Last Note 細溪宙大(主将)


こんにちは!
早稲田大学バスケットボール男子部です🧸❤️‍🔥


連載・Last Note📝
ついに最終回!
最後を担当するのは、キャプテンの細溪🔥

たくさんの苦悩にもがきながら
1年間務め上げた細溪の
ラストブログをお楽しみください!




自己紹介

教育学部四年細溪宙大です。
趣味はゲームで、
将来もゲームを制作する側を目指しています。

最近の流行りは
我らがOB会会長新井さんの
「細溪はゲーム業界に行くのに麻雀は打てないのか」
というの発言をきっかけに
麻雀を覚えて、
現在必死に練習中です。


インカレの結果に対して

チームで掲げた
打倒東海ベスト8という目標を
達成することが出来なかったので、
悔いが残る結果にはなりました。

ただインカレに向けて仕上げて
最終的に準優勝をした
東海大のフィジカルや技術などを、
最後に下級生に
肌で感じてもらえたのは
来年に繋がるものでした。


バスケ部に入部した経緯

高校三年生の引退後、長田さんに
自分が大学バスケで
やっていくことが出来るのか
相談したことがありました。
その内容をとても簡単にまとめると、
やりよう次第で試合にも出れる、
といったもので、
僕が大学で頑張るモチベーションには
十分だったことを覚えています。

今思いだすと、
長田さんにその時にはもう
「同期のメンツ的に
お前がキャプテンをやることになるんじゃない?」
と言われていたので
あの人には未来が見えているかもしれません。


入部当初の目標、それに対する現在

入部当初の目標は
なんといっても
試合に絡めるようになることでした。

そしてそれを叶えられない現実のなかで、
段々と
試合に出れなくても
チームに貢献するには
どうすればいいのか
といった方向にシフトしていきました。

最後には
ベンチで一番声を出していたはずです。


部活で一番印象に残っている思い出

正直、これを思い出と言っていいのかわかりませんし、今の僕の中でも思い出ではなく重い事実としてのしかかっています。
ただ、僕の四年間の大学バスケ生活の中で間違いなく一番大きな出来事であり、何十年後も絶対に忘れることがない出来事のため、「ニ部降格」を一番印象に残っている思い出とさせていただきます。

主将を務める時に
自分の中でのみ掲げた目標に
「早慶戦勝利」と「一部残留」があり、
そのニつを達成すれば
僕は今年の代の主将として
やるべきことをやったと胸を張る気でいました。

その一つが達成できなかったこと、
小室さん、津田さん、神田さんら先輩たちが
入れ替え戦を乗り越えて残してくれていた
居場所を失ったこと、
なにより後輩たち、
特に最後の一年である三年生から
一部でプレーする権利を
奪ってしまったことに絶望しました。
中学、高校の時のように
負けて最上級生が引退して終わるだけだったら
どれだけ楽だったでしょうか。


主将を務めた1年間

こんな経験をしてる同年代なんて
まずいないと思いますし、
最近部活外の人と接することが増えてきて、
落ち着いてる、
大人っぽいといった評価を
いただくことが増えてきた気がします。

それもひとえにこの一年間
責任ある立場に立たせていただいた経験
からだと思っています。
本当に貴重な経験をさせていただきました。

上の感想に嘘はありませんが、
全て終わった今
この一年間の上澄みを掬ったような言葉です。

実際に過ごしていた頃の一年間は、
ただ苦しかった
これに尽きると思います。

毎日行われる練習前後のサークルがあり、
主将はそこで最後に話すのですが、
話す相手は僕よりもバスケットが上手な連中です。
加えて、
隣にはその中でも圧倒的な輝きを放つ
堅信と龍海がいたわけです。
当然自尊心は損なわれていきますし、
はなからなかった自信はさらに地に落ちます。
そんな情けない自分を全力で棚に上げて、
精一杯の虚勢を張って言葉を紡いだ一年間でした。

実際に後輩たちが
どんな気持ちで
僕の話を聞いていたのかなんてわかりませんが、
僕が後輩の立場だったら
「どの口がいってるんだよ」
と思っていたでしょう。

そんな自分が主将を務めて二部降格です。
原因が僕にあるのは明確ですね。
本当に苦しい一年間でした。


1年間頑張れた理由

正直全部投げ出してしまいたい
と思ったことは数え切れませんし、
僕は結構組織というのは
案外人が一人くらいいなくなっても
回っていくものだと思っているので、
実際に投げ出すこともできたかもしれません。

それでも続けられた理由は二つあって、
同期に恵まれたことと、
自分で選んだ主将だったからです。

これを読んでいる皆さんは、
僕が主将をやっているのは
同期の性格を鑑みた際の消去法
だと思っているでしょう。

実際主将を決めた
大人スタッフたちの中では
そうだったのかもしれません。
ただ僕の中では
明確に自分で選んだ瞬間がありました。

2022年2月新チームが始動して、
もうすぐ三年生になるといった頃に
当時の主将の神田さんから
学年ごとにリーダーを決めろと指示されました。
これは主将の指示が
学年ごとに浸透しやすくする、
且つ学年の様子であったりを
報告できるようにするためのもので
自分たちの代の主将を決めるものでは一切ないのですが、三年になる頃だった僕らの中ではそれを意識していました。

リーダーを決める話し合いは進み、
僕と堅信の決戦投票が行われる運びになり
ラインのグループに匿名の投票が設置されました。
当時9人だった同期で投票が始まり、
僕が悩んでいる間に
投票が4票ずつで分かれたのを今でも覚えています。
実質的に最後の僕の1票で
結果が決まるわけで、
堅信か自分かを選ぶのです。
僕は堅信と龍海がいれば
日本一になれると本気で思っていましたし、
そのためには僕が主将になる方がいいと
その時は本気で思ったのです。
覚悟を決めて自分で自分に票をいれました。
この時の覚悟が
自分の中では逃げられない錨になってくれていました。

最終的には不甲斐ない結果を残した主将ですが、
最高の同期と
この錨のおかげでやり切ることができました。
そして、
この姿が後輩たちの感情に
何か揺らぎを生み出せていたら嬉しいです。



後輩に伝えたいこと

来年、一部昇格して
インカレに出場することを願っているし、
皆なら出来ると本気で信じています。

他の伝えたいことは
このブログが上がってるころには
他の四年生から伝えられていると思います笑


応援していただいた皆様へ

長い上に拙い文章ではございましたが、
ここまで読んでくださりありがとうございます。

月並みな言葉にはなってしまいますが、
本当に皆様のご声援やご支援のおかげで
我々は成り立っています。

僕らの代は引退となりますが、
堅信と龍海はBリーグでバスケを続けていますし、
大倉、聖和、井ノ山、春日も
今後様々な形で
バスケットに関わっていくと思います。

僕のバスケットボール人生は
ここで終止符を打つことになりますので、
今後は皆様と同じ立場で
チームを支えていきたいです。

今後とも自慢の同期達、
そして早稲田大学バスケットボール部を
何卒よろしくお願いいたします。

今までありがとうございました!





最後までお読みいただきありがとうございます!



次回の配信もお楽しみに🧸❤️‍🔥

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