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『明日のナージャ』26話、あの細田守が手がけた伝説の神回を語る!

言わずと知れた(?)名作『明日のナージャ』


本作を知らない方はこのページに辿り着きようもないので説明は割愛する、記憶が朧げな方はお手持ちの検索エンジンを駆使してみるといい。

今回妄想解説をしていきたいのはその作品において「神回」と名高く、もはや伝説と形容されるこちら

第26話「フランシスの向こう側」

スペインのグラナダを舞台にした回。想い人である貴族のフランシスに偶然再会したナージャはそこで特別な一日を過ごす。しかし実は彼はフランシスではなくその双子の兄キースであり、またの名を世間を賑わす怪盗黒バラであった…

全50話の本作においてはちょうど折り返しの回でありナージャのもう一つの主題である貴族二人との恋模様にターニングポイントとして波紋を呼ぶ回となっている。

詳しいあらすじはこちらに

実はこの回の演出、原画等を担当したのはあの細田守なのだ。

細田守といえば『時をかける少女』『サマーウォーズ』『竜とそばかすの姫』などが有名な日本のアニメ監督である。
そんな巨匠ともいえる人物が東映アニメーション時代に手がけたがゆえテレビアニメシリーズの単話に映画のような大胆な演出を盛り込み他話とは一線を画した"アニメ演出家"としてのこだわりを感じる回なのである。

以下、当然ながらネタバレ注意!!




1.「夏」に閉じこめられた光と影


まず背景美術から見るといつもの和やかな水彩タッチの風景ではなく不自然なまでにベタ塗りされた青空と緻密な建物群で構成されており、まるで街そのものを切り取ったかのようになっている。

その不自然なまでの「夏」の空間演出がナージャとキースの二人を舞台のなかに閉じ込めているのだ。

細田の描く「夏」には一瞬を永遠に、永遠を一瞬のことのように見せる力がある。凡庸な表現だが「青春」と形容できよう。

二人だけの特別な時間
二人だけの秘密の時間
二人だけの儚げな時間

今しかない二人の間に流れる時間は「夏」に閉じ込められており、26話そのものもナージャの世界観から一時的に切り取ったかのように独特な雰囲気を漂わせることになる。


また、夏ならではの眩しい陽光によってができるがそれもまた不自然なまでにくっきり描かれている。
細田演出で影を描かないのは有名な話だがここでは光の陰影がキャラクターそれぞれの立場の違いを浮き彫りにしているのだ。


天真爛漫なナージャと目が隠れ伏せているキースがいる。
ナージャは相手を照らすであり、キースはナージャに対しうしろ暗さのあるである。
つまり二人の関係性と二面性が物語のに表れているのだ。

2.「星の瞳のナイト」の向こう側


ナージャはこの日彼に出会った際「星の瞳のナイト」と呼ぶ。
この呼称はナージャからすればフランシスを指すがキースからすれば自分を指している呼び名である。この勘違いはキースの心に葛藤を生む。物語は「星の瞳のナイト」を通してナージャは貴族としてのフランシスを、そして視聴者は仮面を取ったキースの心を覗くことになる。

劇中でのキースの受け答えはどこか虚ろで素っ気なさすらある。けれど言葉遣いや振る舞いにはおよそ貴族(=フランシス)とはまるで違うくだけた話し方をする。
トマトを投げては「食べな」の一言。ナージャからいつもと違う様を指摘されると遮るように否定をする。

これらは自分はキース(=黒バラ)であるという自己表現であり、そのため"わざと"フランシスらしくない振る舞いをしているのだ。(それでも勘違いさせたままにするのがニクい)

今回キースが見せたのは決して人には吐露することのない自らの心根から出た言葉、弱い部分、またはナージャを通して得られた人を慕う心である。

その心に触れることができたナージャは勘違いとはいえ彼に「今日の貴方が好き、前よりももっと好き」と告白するのである。

タイトルの「フランシスの向こう側」とはナージャが見た星の瞳のナイト(=フランシス)の知らない一面をみたという勘違いのことだが観客の我々が見せられたのは"星の瞳のナイト(=キース)の向こう側"なのだ。


3.ドビュッシーの『月の光』

ここで劇中に流れる美しい楽曲を改めて聴いてほしい。


この曲はドビュッシーがフランスの詩人ヴェルレーヌの詩集の「月の光」をきっかけに作られたといわれている。

以下フランス原文和訳


あなたの魂は選ばれた風景(画)
その風景では魅力的な仮面(マスク)と踊り子(ベルガマスク)が歩く
リュートを弾いて踊りながらも
幻想的な変装の下でどこかもの悲しい。

短調の調べにのせて歌う
愛の勝利と心地よい人生を
でも幸せを信じていないようで
彼らの歌は月の光に溶け込む、

悲しく、美しい、月の光は、
木々の鳥たちには夢を見させ、
そして噴水をうっとりと啜り泣かせる、
大理石の像の間からの大きな噴水を。

出典:Wikipedia「月の光」より抜粋

この詩には相反するものとが不思議な情景のなかで儚くも混じり合うような曖昧さと美し
さ、そして寂しさを描いている。

そしてこの和訳文を見ると仮面(黒バラ)と踊り子(ナージャ)、大きな噴水(アルハンブラ宮殿)とあり詩そのものがまるで26話の世界観を描いているかのようである。

そしてこの曲の流れる中で二人は宮殿を歩き幸せで儚げな時を過ごす。装飾から採れる陽光に照らされるさまはまるで月光のように嫋やかで影の中で踊るナージャは無邪気で美しい。

そこでのキースのセリフはこうだ。

「この宮殿の本当の美しさは、華麗なアラベスク装飾や巧みな造園技術にあるんじゃない。大いなる価値の逆転に運命を翻弄された、そんな儚げな存在、そのものにあるんだ。」

これはキース自身の生い立ちのことだけでなくナージャの翻弄される運命を暗示していると言える。今話のメインタイトルともいえる「月の光」はちょうど折り返しにきた後半の物語を象徴した音楽として機能しているのだ。

余談だが宮殿の中に黒猫が現れる。
黒猫はイスラムでは敬愛される生き物でありながらキリスト教では悪魔の使いと忌み嫌われている。
キースにだけ懐く黒猫、これは黒バラのメタファーであり宮殿の歴史同様に価値の逆転、運命に翻弄される二面性を持ったキャラクターを表しているのだ。


4.「万華鏡」の向こう側

今回初めて出てきた万華鏡というアイテム。
ナージャに託されるそれは劇中で語られる通りキースの母が生前外の世界(=貴族という狭い世界の外)の代わりに覗いていた窓である。

万華鏡から覗ける千変万化する景色は外の世界のメタファーであり、また万華鏡自体は筒の中という狭い世界の中で外に出られず病床に臥した母そのものを表す。

そしてキースが万華鏡を橋渡しにナージャと繋がることによって
キース→万華鏡(母のメタファー)→ナージャ

という関係性が成り立つのだ。

つまりキースは母親に対して何も出来なかった後悔、同時に果たしたかった願望すなわち理想の母親の姿をナージャに重ねて見ているのだ。

外の世界を見ることが叶わず没した貴族の母親と外の世界を旅してまわる実は貴族の娘であるナージャはキースを通して見られる皮肉めいた対比構造となっている。

前前項で述べたキースの向こう側、つまり彼の行動原理や本質に関わる部分がナージャではなくキースから見た万華鏡、つまり母の向こう側にいるナージャに映るのである。


5.ナージャのシエスタ

再び「あなたは誰?」と問いかける。
想い人の知らない一面をたくさん覗いたナージャが不安に駆られての言葉だ。
キースの返答は歯痒くも切実だ。

「僕は僕だ。他の誰でもない。そして、今君が感じている気持ちは紛れもなく僕へのものなんだ。」

この言葉の心意を解することの出来ないナージャは陰を見せる彼の助けになりたいと請い願い「フランシス」と呼びかけたところをキースは唇で蓋をする。

キースの救いになるとすればそれは自身を「フランシス」と呼ばないことなのだ。名乗らずに勘違いさせたまま目の前の「僕」を刻みつけたい狡猾さが垣間見える印象的なシーンだ。

ところでこのキスシーンには違和感がある。
宮殿の中庭で唇を重ねる二人の姿はそこにはなく、鏡のように美しい水面だけに映るのだ。
そして運命を告げる鐘の音とともにあたりは夕刻となり、音が鳴るたびに世界は元通りなっていき古都を行き交う人々の喧騒が混じり合う。

鐘は始まりと終わり、シーンの切り替わりの合図を表すものでありここではナージャの目覚まし時計の役割を持っている。
また、水面に映る姿は現実ではない虚構を表すものだ。

つまりこの話は全てがナージャの見ていた白昼夢(=シエスタ)であったのだ。

グラナダで運命とも言える出会い、二人きりで過ごす特別な時間と彼の秘密に触れ、甘い大人のキスと鐘の音で幕を閉じる。
物語の序盤で皆がシエスタを過ごしていたようにナージャが過ごした一日はまるで白昼夢を見ていたかのような泡沫であったのだ。

閉じ込められた「夏」は文字通り閉じ込められた「夢」のような時間を表していた。ナージャにも視聴者にもまるで白昼夢を見ていたかのようにさせる演出は見事である。

また、星の瞳のナイト二人の姿を見て、黒バラの正体に触れて動揺するナージャと共にリフレインする「好き」という台詞もなんだか儚げで切なげでそれでいて美しい。まるで夢現のなかでまどろむかのように。

6.「スペイン編」はターニングポイントだ!

細田守によって構成された今話はナージャと双子の恋模様に波乱を呼ぶ嗜好の凝った回となっていた。
「夏」「夢」を重ねて二人の対比と二面性を描いたグラナダは何度見ても美しい神回と言わざるを得ない。

「明日のナージャ」はそれまで一期一会の美しさを描いてきたがこのスペイン編を皮切りに後半はすれ違いや翻弄されるさまが多くなっていき女児向けとは思えない"重い"展開となっていく。
ナージャ一行が漫遊する20世紀初頭のヨーロッパは動乱の時代である。
その中でスペインは"日の沈まぬ国"と謳われた黄金期をとうに過ごした斜陽にあり劇中のフラメンコダンサーの言うような「光と影」が印象的な国といえた。

ナージャはまだ見ぬ明日を照らす光として影に立ち向かうように物語を逞しく生き抜いていく。
しかしこのスペインをターニングポイントとして登場人物の二面性や恋模様、ドラマ的にも運命に翻弄されていくのだ。

「光あるところに必ず影がある」
劇中の闘牛士ホセの言葉がスペイン編を一言で表している。
少し大人の階段を登ったナージャが生きる明日もまた光と影がある。そんな予感を匂わせる"情熱的な"回のひとつが『フランシスの向こう側』なのである。


終わりに

以上、誰もが認めるであろう神回26話の私的妄想に基づく構造分析でした。

全50話の折り返しにこんなにも含蓄のあるドラマが挿入されていようとは初見のときは思いもよらぬものだ。
しかし女児向けニチアサアニメと侮るなかれ。クリエイターの情熱とメッセージ性に富んだ『明日のナージャ』は大人になった今でも飽きさせることはなく心に瑞々しい息吹を与えてくれるに違いないのだ。

未見の方々には騙されたと思ってぜひ見てほしい。それはアニメファンのみならず細田守という作家性に触れるという意味合いでも必ず得るものがあるだろう。
見た方、この記事を読んでくれた方からの意見やコメント、付け足しなどお待ちしています。

しかしこの作品を見るハードルは少々高く天文学的な転売価格のDVDを購入するしか現在は手はない。
または令和の大サブスク時代、こちらから登録して視聴することを勧める。
スポンサーでもなんでもない私だが一人でも『明日のナージャ』を好いてくれる可能性が拓けるならばこれほど嬉しいことはないのだ。


2023年7月追記

ついに!待ちに待ったBlu-rayBOXが発売になりました!

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