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ハロウィーンに思う


毎年この時期になると思うのですが、日本人って本当にお祭り好きですよね。日本の伝統的な祭りならまだしも、クリスマスにバレンタインにハロウィーンと、本来はキリスト教の宗教行事までノーテンキに楽しんじゃうという、良く言えば柔軟性があり、悪く言うと何のポリシーも持っていない。盛り上がるし、経済効果もあるのだから良いじゃないかという意見もあるが、元はと言えば流通業界が販促の為に仕込んだプロモーションに踊らされているわけで、かつては踊らすために笛太鼓を叩く側に居た私からすると、それに何の疑問も感じずに楽しく踊っている人々を見ると、何か危うさを感じる。

最近はあまり使われなくなりましたが、「ハレの日」や「晴れ着」といったように、非日常の祝祭的な意味を持つ「ハレ」という言葉、それと対比される日常を表す言葉「ケ」。慎ましやかな日常があるからこそ「ハレ」が輝き、エネレギーもある。しかし、「ケ」の日が多いと商売が盛り上がらないと、どんどん祭りを作って行った結果、日常がハレ化してきて、本来の「ハレ」の意味が薄れてきている。そして、それは、日常「ケ」の価値を大きく低下させ、ケは「貧しさ」に繋がり、精神的な貧困にも繋がっているように感じます。

ハロウィーンイベントで盛り上がるのは良いのですが、時にはそんなことも考えてみて欲しいものです。

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