【金正恩の逸話】外国語教員の心配事
最近、北朝鮮で金正恩の「偉大性」についての教育が盛んに行われているように思う。金正恩の「革命逸話」についての図書が出版されるほか、新聞やテレビ、そしてネットでも金正恩の「逸話」が盛んに紹介されている。
金正恩の「語学力自慢」のような逸話を紹介しよう。
※ ※ ※
ある日の夜、敬愛する最高領導者金正恩元帥様はある軍事大学の外国語教員が翻訳した資料をお読みになった。
1ページ、そしてまた1ページ…
資料の文章を注意深く読んでいらっしゃった敬愛する元帥様の視線は英単語「hut」で止まった。
その教員は英単語「hut」を「あばらや」と翻訳していたのだった。
敬愛する元帥様は資料を翻訳した教員を呼んで「英単語『hut』を正確に翻訳していないようだ」とおっしゃり、「辞書では『hut』がどのような意味で使われるとされているのか」とお尋ねになった。
教員はためらいつつ、名詞としては「あばらや、臨時兵舎」、動詞としては「臨時兵舎で休ませる」という意味だとされている、と申し上げた。
敬愛する元帥様は指で示しつつ、彼に「英単語『hut』を『あばらや』と翻訳するのはそぐわない」とおっしゃった。
その方(訳注:金正恩を指す)のお言葉に、教員は口をもごもごとさせた。
困った顔をしている教員を眺めていた敬愛する元帥様は「この本の中で、この『あばらや』がある場所はどこだと書かれているのか」と再度お尋ねになった。
「この国の首都の中心部にある家のことです」
このように答える教員に、敬愛する元帥様は「首都の中心部に『あばらや』があるというのは現実にそぐわない。私の考えでは英単語『hut』は『あばらや』ではなく『小さな家』と翻訳するのがいいと思う」とお話しになった。
敬愛する元帥様は、恐縮する教員を安心させようとでもするかのように柔らかな声で「外国の図書を翻訳するときには当時の環境や文法を検討し、正確に翻訳するべきだ」とおっしゃった。
そして「外国の図書を翻訳するならもちろん辞書を見なければならない。しかし辞書に書かれているといっても、文法的に合っているかいないかを具体的に検討しなければ図書を正確に翻訳することはできない」と教えてくださった。
その方のお言葉は教員の胸に深く刻まれた。
敬愛する元帥様はふいに「外国に行ったことがあるか」とお尋ねになった。
教員は、アフリカのウガンダに通訳員として行ったことがある、と申し上げた。
敬愛するその方は、満面に温かい笑みを浮かべて「外国に通訳員として行った経験があるなら、外国語に対する理解もある程度あるだろう」「外国語の実力を高める意味でこの図書を一度翻訳してみよ」とおっしゃった。
「わかりました」
しかし彼の心の隅には、ひそかな心配事があった。
(専門家以上に外国語に明るい敬愛する元帥様から合格をいただけるだろうか?)
これが外国語教員の心配事であった。
※ ※ ※
周知のように、金正恩は10代の時に4年間ほどスイスに留学している。
ドイツ語(そして英語)がペラペラだったとも、反対に言葉はほとんどできなかったとも報じられている。実際のところはよくわからない。
今年のニューズウィークでは、金正恩は自ら「ドイツ語は得意だが、英語は得意ではない」と話していたという内容のニュースが流れた。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/05/post-12165.php
留学経験があっても、英語が得意ではないということはあり得ることだ(現に私がそうだ)。ただ、北朝鮮において外国留学という機会に恵まれる人間は、一般人であればほんの一握り、指折り数えられるほどの秀才だろう。金正恩は(その血筋のおかげで)貴重な経験に恵まれた。そうした前提があっての「外国語の実力自慢」であろう。
北朝鮮を観察していると、「『意外と』事実を偽らない」との感覚があるが、こうした最高指導者の「逸話」だけは例外である。これが完全なる作り話なのか、あるいはある程度現実に基づいた話なのか・・・それは、米朝会談を観察することでもしかしたら明らかになるのではないか、なればいいな、と期待している次第だ。
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