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【復刻】北海道脱出記

これは、私が2017年8月に韓国の友人と北海道旅行をしたときの記録である。当時、フェイスブックで5回に分けて書いたものを一部、加筆・修正して転載した。

旅行最終日の小樽は青空だった。
5時台に目が覚めた私は、チェックアウトしたホテルにかばんを預けて、小樽市内の「天狗山」に登った。暖かい日差しに涼しい風。どれだけでも歩ける、そんな気がした。

小樽を離れたのは正午ごろ。
小樽から札幌への車窓から見える海は澄んでいて、幼い頃に遊んだ夏の海を思いだす。

朝ご飯をおにぎり一つですました私は、空港に到着してすぐに3階の食堂街に向かった。カレーはあまり好きではないが、一度くらい本場のスープカレーを食べておかなければ。
昼食に人生初のスープカレーを食べ、お土産を買って、旅行の余韻を楽しんだ。

韓国に帰る友人と別れ、私は自分のチェックインカウンターに向かう。

空港の雰囲気がおかしいとは思っていた。
JALのカウンターにも、ANAのカウンターにも人があふれている。見たことないほどの人たちが列に並んでいて、おかしなことに列が進んでいる一向に様子がないのだ。カウンターで手続きをしている様子もない。北海道の空港はこんなに混むのだろうか。

私はジェットスター(LCC)のカウンターに向かう。
そこにも不穏な空気が漂っていた。セルフチェックインの機械にすべて「案内」の紙が貼ってある。どんどんと列を離れていく人々。忙しく説明をしてまわっている女性は一向に近くにやって来ない。チェックインすべき時間は迫っていて、列から離れることもままならない。

背後から話し声が聞える。
「今日は・・・満席で・・・
    明日も・・・・難しいかと・・・」

私には関係ない。違う便の話だ、と思った。
だって聞えてくる便名も違う。
なにか問題が起こっているらしい、ということははっきりとわかった。さすがに、話を聞かないといけない。心が焦った。

空港は殺伐としていた。
うろたえる人、無言で列を離れる人、ベンチに座って動かない人。従業員の女性たちは、呼び止めても振り向きさえしなかった。なんとかそのうちの一人をつかまえて尋ねると、彼女は無慈悲に言い放った。

「あなたの乗る予定だった114便は欠航になりました」

・・・ではどうすれば・・・?

「振り替えをしていただくことができます。
 ただし、今日はすでに満席でして・・・」

・・・じゃあ、明日・・・?

「明日も満席になっております。ご案内できるのは明後日からの便になります」

私の苦難の脱北の開始の合図であった。

「振り替えできる飛行機は明後日からです」

その言葉を聞いた時、あまり実感が湧かなかったからだろうか、私は少し笑った、気がする。

「その間お泊まりいただくホテル代の1泊分しかお出しできないのですが・・・どうされますか?」

何も用事がなければ、短かった札幌滞在を伸ばしてあちこち見て回るのもいいかもしれない。しかし私は社会人だった。しかも明日から仕事だ。いや、それはなんとかなる。

一番の懸案は、家で待つ猫のことだった。
2泊3日の旅行中、2日目にシッターさんに来てもらっていたが、すでに鍵はポストに返還されていて、無理を言って延長してもらうこともできない。誰かに鍵を渡して部屋にはいってもらうこともできない。寂しがりで人恋しい猫、ひとりぼっちでかわいそうな私の猫。

心は決まった。
とにかく帰ろう、少しでも早く家に帰ろう。

私は払い戻しを選択した。これで、帰る術はなくなった。帰るためのチケットを手に入れなければならない。
すぐ横にあったLCCのカウンターに飛び込む。

「今日の飛行機なんですけど、新規でチケット買えますか?」

その日、従業員は何度この言葉を聞いたのだろうか。苦笑いし、一応聞いておくか・・・といった顔でたずねてきた。

「行き先は・・・・」
「東京です。どちらの空港でもいいです」
「東京はもう・・・」

それはそうだろう。

「名古屋でもいいです」
「わが社では名古屋便がございませんので・・・」

私は悟った。
便の少なそうな航空会社ではだめだ。あちこちの空港への便があり、便数も多そうな会社にしなければ。

私はそこで思い出したのだ。
JALやANAのカウンター前に恐ろしいほどの列が出来ていたこと。列が進む様子もなく、カウンターでもなにやら説明ばかりして手続きをしている様子ではなかったことを。
列に並んでいた彼らは、チケットを求めて私と同じように便数の多そうな航空会社に望みを繋いでいた人々だったということを。

望みは薄かった。しかし、じっとしているわけにもいかない。
JALでも同じ質問を繰り返した。
返ってきた言葉は、私にさらに絶望を与えた。

「現在、東京行きはキャンセル待ちが50人となっておりまして・・・」

名古屋行きも似たようなものだった。
周りを見回すと、立ち尽くしたままキャンセル待ちが出るか電光掲示板を食い入るように見る人たちがいた。カウンターの前には、それでもチケットを購入しようとする人々が黙々と列に並んでいた。

無理だ。

「予約がある方も、現在、飛行機に乗れていないような状態でして」

チケットすらない私がいまから乗れる飛行機など、ありそうもなかった。

空港では「席をお譲りいただけるお客様には食券3000円分を差し上げます」というアナウンスがむなしく流れていた。

私は空港をとぼとぼと歩いた。
何も知らずに多めに買い込んだお土産が腕に食い込んだ。

無理なのは分かっていた。しかし、確認せずに諦めるわけにはいかない。
ジェットスターから一番遠いチェックインカウンターまでやってきた。ANAだ。「新規」のカウンターに並びながら、スマホで飛行機以外の経路を探す。とにかく、この空港から離れなければならない。近くの空港といえば函館か。

「電車で4時間半・・・・」

私の順番が来た。
私はいくぶん投げやりな感じで言った。
「最終的に、東京に帰りたいんです」
今日中に、だとか、直行便で、だとかいう気はなかった。
カウンターの女性は「でしょうね」という顔をして、笑顔で「どうされますか?」と聞いた。私はその笑顔に少し勇気づけられて答えた。

「なるべく早く東京に行きたいんです。全然違う場所を経由しても構いません」

面倒くさい私の注文にも彼女はにっこりと笑って「調べてみますね」とパソコンに何やら打ち込み始めた。

「・・・青森経由でよろしければ東京に行けます!」
「えっ・・・今日中に!?」
少し大きな声を出した私に、彼女は少し声をひそめながら言った。
「ええ、今日中に行けます。ただ・・・だいぶお値段が・・・」
おそるおそる料金を聞く。

6万です

6万。
6万って言ったら何が買える?
必要な家電とかじゃなかったら6万のものなんて滅多に買うことすらないんじゃないの・・・?家に帰るためだけに、6万。
私の意思は簡単に、そしてコテンパにしぼんだ。そう、私はケチな女。

「あのー・・・なんか、もう少し安いのは・・・」

彼女は私のわがままにいやそうな表情ひとつせずに、様々なルートを調べてくれた。しかし、簡単に見つかるようなら行き場を失った人たちがこんなにたむろしてはいないのだ。

私は一つの覚悟をした。
「函館まで行けますか?」
「函館はいけますが、その後が・・・」
いぶかる彼女に私はきっぱりと言った。
「そこから新幹線で帰ります」

北海道から東京までだ。遠いことは分かりきっている。だからこそ、終電の新幹線の時間がかなり早いだろうということも予想できた。決断するなら今しかない。
すると、なんと彼女は「じゃあ新幹線の時間調べますね」とパソコンで検索までしてくれたのだ。殺伐とした空港で、我慢強く、嫌な顔一つせずに、本来の仕事ではないことまでしてくれる彼女は、私にとってまさに天使だった。

しばらくしてパッと笑った彼女は、「今から函館に向かえば、新幹線の最終に間に合うと思います」とうれしそうに言った。函館までの飛行機代に、そこからの新幹線代。決して安くはないものの、それでもまだ許容範囲だった。しかも、今日中に帰れる可能性がある・・・・!!
私はそれ以上迷わずに函館行きのチケットを買った。
電車で行けば4時間半かかるという函館まで、飛行機なら25分だということを聞いて、私の心は少し軽くなった。

欠航を知らされてから約1時間後。
私はついに、新千歳空港をあとにしたのだった。

函館への飛行機はプロペラ機だった。
とても小さな機体。歩いて登るタラップ。こんな状況でもわずかに上がるテンション。
そうだ、せっかく行く予定のなかった函館に行くんだ。見てみたかった五稜郭を見るんだ!

私は目を凝らして函館の街を眺めた。
「星形の芝生がある!」
必死でスマホを向けたが、身軽に方向を変えてしまうプロペラ機は五稜郭(らしき場所)に近づいたかと思ったら、すぐに身を翻して着陸態勢に入った。
私の函館の思い出は結局、この五稜郭の端っこだけになってしまったのだった。

函館空港は上空からみた限り、街の中にあるようだった。これならすぐに新幹線に乗れそうだ、と思った。

しかし。
函館空港から函館駅までバスで約30分。そして函館駅から新幹線に乗れる新函館北斗駅まで、待ち時間を入れて優に30分はかかったのだった。

焦る心を抑えつつ、バスの窓から外を眺める私の目に「土方・啄木浪漫舘」が飛び込んできた。あっ!あっ!と背もたれから飛び起きるが、私にはバスを降りる余裕はない。

新幹線の駅・北斗駅に向かうJRの乗っている途中には「五稜郭」駅を通る。私にとって、近くて遠い五稜郭。周囲の人にバレないよう、私は静かに深呼吸をして五稜郭の空気を吸うのであった。

新函館北斗駅に到着した頃には6時を回っていた。本来なら、5時頃に東京・成田に降り立っており、この時間には家にたどり着いている頃だ。それなのに。それなのに私はまだ、北海道から抜け出せずにいた。

重いかばん、旅行で疲れた体。精神的にも限界が近かった。

新幹線の最終は、6時36分だった。
間に合ったのだ。新幹線に乗れば、家に帰れる。今日中に、帰れる。
家に帰ることだけを心の支えにして、私は東京までのチケットを購入するために窓口に向かった。

「東京までのチケットください」

窓口のお姉さんは言った。
「はやぶさは全席指定席なんですが、現在満席です」

体から力が抜けた気がした。

ここまで来たのに、道は、途切れてしまった。頑張ってあがいても私は北海道の手のひらから出ることすらかなわなかったのだ。

駅の外には田んぼが広がっていた。
函館からどれほど離れたのだろう。
函館に戻ってホテルを探すべきだろうか。
様々な思いが頭の中を流れていった。

「乗れない・・・ってことですか」
そう言葉にしたときには諦める覚悟はできていた。

しかし返ってきた言葉は予想とは違うものだった。
「立ち席でご乗車いただけます」

立ち席。
函館から東京までの4時間強を、立ち席で。
その時、若干、「あ、もう帰らなくていいかな」という思いが浮かんだのは否定できない。

しかしここまでの苦労がそうさせたのか。
「あっ・・・あ・・・じゃあ、それでお願いします」
私は苦行を続けることを選んだのだった。

ホームにあるコンビニは、お酒などの飲み物と酒のつまみ、そしてお土産類しか揃えていなかった。
夜ごはん、どうしよう。
いや、席もないのにお弁当などどうやってで食べればいいのだ。
ホームに座り込みながら、どっと疲れが湧いた。

私が乗った「はやぶさ」の停車駅はこうだったと思う。

新函館北斗
木古内
奥津軽いまべつ
新青森
七戸十和田駅
八戸
二戸
盛岡
仙台
大宮
上野
東京

「立ち席」は「盛岡までは空席に座ってもよい」と説明された。本日最終の新幹線だ。そんなに乗る人は多くないのではないか、という期待もあった。しかし、満席だからこその立ち席。

指定席を購入した人が乗ってくるたびに、憐れな私は頭を下げて席を移動するしかないのだ。
「すみません、すみません」と頭を下げて、バッテリーのなくなったスマホを窓際の人に充電させてもらったりもした。
「チケットは立ち席なんですが、空席に座ってもいいって言われたんですよ」と言い分けがましく話して「そんなものがあるんですか。大変ですね」と憐れまれたりもした。

青函トンネルを走っている約30分の間は駅に停車することがないため、なんとか確保した席に座り、購入した弁当を必死でかきこんだ。海鮮弁道は涙の味がした。
まさに苦難の行軍である。

こうして青函トンネルを抜けたときに思った。
「こんなに苦労してるのに、私まだ北海道にいたの?」

恐るべし、北海道。
脱北しようとどんなにあがいても、一度北海道に囚われれば、そこから抜け出すことはできないのだ。
私は、しみじみと(本当の意味の)「脱北者」たちに思いを馳せた。国を脱出するということがどんなに困難なことだろうか、と。限りなく広い土地からの脱出、それはすなわち恐怖だった。

盛岡を越え、私はデッキに移動した。
私の知っている新幹線のデッキよりも狭く感じるそこには、私と同じ立ち席の人間が数人いた。
スーツケースの上に座ったまま目をつぶる人。
トイレの前に立ち尽くす人。
床にあぐらをかいて座り込む人(私)。
思い思いに苦行の時間を過ごしていても、指定席チケットを持った人々が列をなして乗り込んでくると、われわれは彼らの邪魔にならないようにドアの脇で直立不動して彼らが車内に入っていくのを見守らなければならない。
身体的に疲れるだけでなく、惨めな旅でもあった。

東京
ドアが開くと、生ぬるい空気がはいってきた。
特に感動はなかった。
残っているのは帰巣本能だけだ。

駅を出て、タクシーを捕まえて家に帰る。
帰宅したのは、小樽を出発してから約12時間後のことだった。

(完)

#北海道 #旅行 #ANA

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