いつかの日記(12)

日記のようなもの、つづき。

-------------------------

数年振りにピアノに触る。久しぶりだろうと下手くそだろうと、どこか押せばそれだけできれいな音が出るから本当にいい楽器だなと思う。
ピアノ、子供の時に友達のお母さんから習って、学生の時に軽音楽サークルで鍵盤をやって、それ以降はごくたまに思い出した時に触るくらい。昔から練習が嫌いで、全然上手くならない。それでもぼーっと同じ曲を繰り返して弾けば、最初よりは後の方が指が動く。「繰り返し」の効力はいつも私の想像を上回って強い。回を重ねることだけでうっすら積もってくれる何かに自分は生かされている、そう思うときがある。

-------------------------

父が亡くなった数年後に、自分にはいわゆる異母姉妹がいることを知った。
色々あって、その人に会ったことがある。私は嬉しかったけど、今後の関係性は彼女が決めるべきことだと思った。何年も前の話だ。

父は数ヶ月の闘病であっという間に亡くなったのだが、病床にあった短い日々の中で、私のことも、彼女のことも思ったのだろうなと、当時の父の年齢に近づいてきた今、ふと想像する。いや…それだけだと正しくない。私が父と過ごした数年間、めいっぱい愛されたと感じる、人生で最もカラリと明るい日々の中で、父は彼女のことも深く強く思っていたのだろうと、そういうことを考える。父はとてもわがままで寂しがり屋で大きな愛のある人だったから、きっとそうだったはずだと思うと、胸の奥を柔らかな手のひらでぎゅっと捕まれるような感覚を覚える。それは寂しさでも切なさでも悲しみでもなくて、私たちがただただ生きるだけで編み上げ、同時に絡み取られてしまう社会や人間模様の複雑さに対して、人が人を思うことの朝日が上るようなシンプルさに改めて思い至るからだ。そこに希望を見るし、その眩しさにわずかに動揺するのだと思う。

-------------------------

つづく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?