メイキング・オブ・ムナカタについて

思いがけず、国立近代美術館でムナカタを観ることができた。

私の初めてのムナカタ体験は6歳。
弘前市民会館の緞帳だ。

この展覧会のポスターのような黒くて裸の女性が大きな緞帳の中に隙間なくゴロゴロしている。おぞましいと思った。しかし、この版画を作った人は世界の棟方と呼ばれるほどの青森の偉人なのだと小学生のころに教えられた。版に顔を擦り付けるような体勢で彫りまくるおじさんの映像を見たことがあった。どんなにすごい人か自分には実感を持てなかった。あの緞帳のおぞましいと思う印象は払しょくされぬまま、私は弘前から巣立った。

しかし、20代のころに初めて棟方が大和絵と呼ぶ彼の絵画を見て、彼の作品の印象が一段変わった。色彩豊かで、壮大で、とにかくどれも楽しそうに見えた。そしてカワイイ。絵の迫力に心奪われてしまった。

彼の絵を通して再び彼の版画を観ると、楽しさのリズムのような感覚を見て取れる。ふくよかな絵には隠れて見えない気骨さなのだろうか。それ以来、棟方の版画の見え方が違ってきた。

ここ数年、民藝を少しずつ深めていく中で、必ず棟方に出くわす。特に青森の民藝協会立ち上げに携わった人たちを訪ねると、棟方が彼らに贈った絵がある。彼らを想い描いた絵。彼の制作もさることながら、愛嬌にあふれた人柄が気になりつつあった。絵も作る人もカワイイ。

しかしこの展示を観て、このおじさんは侮れないと思ったのは、本の装丁と小説の挿絵の数々と、作品の構図の巧みさ、緻密さが見えてしまった。この人は芸術家なのだろうか?作品の題材の選び方を見ても、なんらかの影響力の中で意図的に相乗効果を生むデザイナーなのではないか。そんなことを思っていたら、民藝の中で棟方の存在が、どんな影響を及ぼしたのか深堀してみたくなった。

今回の展示作品の中で一番気に入ったのは、谷崎潤一郎の長編小説『鍵』の挿絵になった美人画。この小説は読んだことがないけれど、白くて柔らかい頬のふくらみや首筋から、逆説的に緊張感を感じ取ってしまい、ちょっとハラハラしてしまう。緻密なのか、直観的なのかわからないけど、棟方の愛くるしさの中の鋭さが見えた。

彼は、私が生まれる前年に亡くなっている。歴史上の人物に影響を受けることはあるけれど、同郷であるがために、彼の作品に触れ続けることができて、自分の何かが成長させられていることを実感した展覧会だった。


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