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鮮魚コーナーで待ち合わせ

仕事帰りに毎日寄るスーパーがある。
小ぢんまりした古い店なので品揃えもあまり良くないが、お惣菜が美味しくて、寿司や刺身がとても安い。
この店の鮮魚コーナーには生簀がある。近くの市場で仕入れているのか、鯛やヒラメが泳いでいたり、サザエが張り付いていたりもする。一度、見たこともないような大きなカニがチキチキ歩いていたこともある。生簀の中の大物を買ったことはないが、水族館のようでとても良い。僕はこの鮮魚コーナーを愛している。

いつものように割引シールの貼られた寿司を狙って、閉店間際のスーパーに来た。
この店の客層はおじいさんおばあさんばかりなので、いつもサーモン寿司パックが売れ残っている。このサーモン寿司、僕しか食べてないんじゃないか。もはや僕のために握ってくれているのかもしれない。ありがたい。
と、そんなことを考えていた時、鮮魚コーナーで流れる「おさかな天国」がいつもと少し違うことに気づいた。
「生歌…?」
声のする方を見て、僕は文字通りひっくり返った。
生簀のふちに腰掛けて、人魚がおさかな天国を歌っていた。

あまりのことに寿司を持ったまま呆然としていると、蛍の光が流れ始めた。
「お客さん、今日もうおしまいなんで」
白い長靴をはいた店員さんに声をかけられた。
「あの…あの…人魚?あれ人魚ですか?」
そう尋ねると、おじさんはしまった という顔をして生簀の方に向かっていった。
「これっ!大人しくせぇって言ったのに!」
人魚はむっとした顔で生簀に潜り、ヒラメをつついて遊びはじめた。
「お客さんすみませんね、びっくりさせちゃって。これ、余りそうだからサービス」
僕は二つ目のサーモン寿司をタダでもらって、会計を済ませた。

次の日も閉店間際のスーパーに来た。
今日はサラダ巻きが半額になっていた。
そっと生簀の方を見る。
人魚は、やはり居た。腕にタコが張り付いていた。引っ張ったり噛み付いたりしているが、剥がれる気配がない。
勇気をだして生簀をノックした。
「あの、手伝いましょうか」
人魚はするりと水から上がり、泣きそうな顔でタコの張り付いた腕を差し出した。
「タコ 吸盤 剥がし方」で検索する。タコも売り物だろうから、死なせるわけにはいかないだろう。足先から慎重に吸盤を剥がし、リュックにあった割り箸を掴ませて次の足を剥がす。
何とか剥がしたタコを生簀に戻すと、人魚がニコニコしながらこちらを見ている。
性別はよく分からないが、髪が長くて肌が白くて、とても綺麗な青い目をしている。
「よかったね、怪我がなくて」
人魚はくるりと一回転して生簀のふちに戻り、おさかな天国を歌い始めた。お礼のつもりだろうか。
異国語のような不思議な発音だが、伸びやかな声が美しい。
僕も一緒に歌いながら手拍子をした。
「お客さん、ずいぶん懐かれちまいましたね」
昨日のおじさんが困ったように笑った。
「すみません、さっきタコに巻き付かれてて、手伝ってたんです」
「すみませんね。こいつ、すぐ他の魚にちょっかいかけて遊ぶんです」
コリャ!と叱られても、人魚は知らん顔でプカプカ浮かんでいる。
「この人魚、なんでスーパーに来たんですか?」
「いやぁね、漁師の友達に聞くと、たまにあるらしいんですよ。アジとかに紛れて人魚が網にかかることが。」
「…あるんですか」
「普通は船から海に帰してやるんだけど、こいつは市場までついて来たらしくてね」
「水族館とか、保健所とかには言わなくて良いんですか」
「こいつねぇ、あんまり人懐っこいんで…しょうがなくてね。漁師も私も、情が湧いちまって」
人魚はまたタコをつついて遊びはじめた。
蛍の光が流れ始めたので、人魚に手を振ってお会計を済ませた。

人魚に会いに行くのが習慣になった。ワタリガニに挟まれた指にバンドエイドを貼ってやったり、おさかな天国以外の歌を教えたり、長い髪を三つ編みにしてやったりした。
言葉はまだ達者ではないが、少しずつコミュニケーションも取れるようになった。
クジラの画像を見せると、「わかる」と目を輝かせた。
クラゲの画像を見せると、「きらい」と顔をしかめた。刺されたことがあるのだろうか。
「海、帰りたい?」と聞くと、唇をブーッと鳴らした。
「ここがいい」
人魚は生簀のふちに頬杖をつき、うっとりと微笑んだ。
「良いよね、このスーパー。僕も気に入ってるんだよ」
人魚は、鯛と一緒に生簀の中をすいすい泳いだ。

ある日、スーパーの掲示板に「閉店のお知らせ」という張り紙が貼られた。
今月末で閉めてしまうという。
僕は悲しくなって、サーモン寿司を二つカゴに入れた。閉店までの間、少しでも売り上げに貢献したかった。
この生簀はどうなってしまうのだろう。
人魚に「もうすぐお別れかもしれないね」と言うと、きょとんとしている。
「近くに新しく大きなスーパーができたでしょう。うちみたいな店は、どうしてもね」
おじさんが長靴を鳴らして来た。
「僕、ここのお寿司がずっと好きで…残念です」
店員さんは「嬉しいねぇ」と言いながら、少し目を赤くしていた。
「この子は…人魚は、どうなるんですか」
「仕方ないね、近いうちに海に返すよ。それでも帰らなかったら、今度こそ水族館か保健所かに連絡することになるだろうね。解剖なんかされなきゃいいんだけど…連れて行かれちゃどうなるか分からないからな」
「そんな…」
「黙って飼ってたようなもんだもの、仕方ないよ」
人魚は、呑気におさかな天国を歌う。
解剖 という2文字が頭から離れない。僕はパニックだった。
「…いくらですか」
「…なんだって?」
「今日、買って帰ります。普段シャワーしか使わないから、風呂で育てられると思うんです」
「お兄ちゃん、そりゃいくらなんでも…」
「バスタブが小さすぎたらプールを買います。約束します。必ず幸せにします。好きなんです。人魚だけど、僕はこの子が心の底から好きなんです」
冷たいタイルにゆっくりと膝をついた。
「お嬢さんを、僕にください」

おじさんは、マグロでも入れるのかというほど大きな発泡スチロールに水を入れてくれた。
車になんとか収め、人魚を生簀から抱えて運んだ。
おじさんは「これ、余っちまうからさ」と、3パック目のサーモン寿司をくれた。そして、車の中の人魚に「じゃあな、元気でやれよ」と声をかけ、昆布の束を握らせた。
僕もおじさんも、涙でグシャグシャだった。
人魚は車の窓から手を振って、おさかな天国を歌った。
おじさんも僕も歌った。
おじさんは最後のカーブで見えなくなるまで手を振ってくれた。

人魚は、今日もバスタブでおさかな天国を歌っている。

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