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問について

夏休みに入って単調な生活になると、「死ぬまでは永遠」という実に矛盾に満ちた問?に常にぶち当たってしまう。朝、起きて直ぐに有線のイヤホンをつけて、昨日書いていた歌詞か、今から歌詞を書くのか、それは決まっていないにしろ、クソ暑いクローゼットに篭って、もう着れなくなったダウンや父親の分厚いコートに押されながら録音を始める。終わって、ここに比べれば涼しくないこともないくらいの部屋のベッドに寝転がり、ミックス作業(僕がそう言ってるだけで、そんな大層な事はできていない)をする。僕は、まだ高校一年生で、将来なんかまだ選べるし、今学校をやめて音楽に本気で取り組むのか、それとも勉強を頑張って一旦行きたくもない大学に進学するのか。どちらにせよ、今の生活はあと数年もすれば、僕が捨ててしまうのだろう。ルーティンと言っておきながら、それはファッションで、自分を色んな問から引き離しているだけに過ぎない。……問に直面してしまった。

永遠が、死ぬまでの自分の時間を表すならば、問と自分の身体は、常に密着している。男ばかりの汗臭いコミュニティに僕がいる裏で、例えば同じ小学校でバレーを頑張っていた女の子が毎月違う彼氏と街を歩いてみたり、あるいは茶髪にして上下僕なんかよりラッパーみたいな服を着た先輩に体を売ってみたり、もしくは、親とか周りの男に、ブスとか、デブとか(勿論内面についても)言われてみたり…… 少し前に、「私本当に自分の顔が嫌い」「まじで整形したい」とか言いながら、(僕にとって)世界でもっとも綺麗な顔をまるで見せびらかすかのような女性がいた。勿論、僕が男であるとか以前に、彼女の言葉が本心なのかは分からないけれど、例えば、それがその人の本心として、その人にとって僕が出会った男で最新のときに、わざと直接的に顔を褒めたり、あるいはメイクとかを褒めたりしたとする。彼女は何を思うか。「私の顔はブサイクだし」であったり、「本当なのか」という思いも、たぶんあるだろう(単に嬉しいという気持ちもそこにはあってほしい)。僕が、彼女の父親よりも1番初めに出会った男だったなら、そのときに「可愛い」と100回言ったら100回言ったなりの自信が形成される。でも、僕と出会うまでに、例えば鼻の高さとか、一重がどう二重がどうとか、10回自分の顔について悪い意味で言及されたら、それは自信の低下に繋がるし、それからの生き方にも関わってくる。その殻が、僕の言葉を反射して、思いもしない僕の顔の「長所」を口に出させたりする。そんな事を書くのは、音楽に昇華する、という行為に落とし込めていいものだけど、どうしてもリズムに乗せて100パーの本心を言うことが難しいからで、喋りたいことが多すぎて何もまとまらない……でも、どうせこの言葉か彼女に届かないというか、自分の話だなとすらも思わないかも知れないな。

そんな問とかのせいか思いが爆発すると、名前も想像できないような人にも死ね、と思ってしまう。僕が思わなくても、その時はいつか(確実に)来るし、電車に乗る時は大抵、結局死ぬのにこの景色を目に焼き付けないといけないのか、とも思ってしまう。夏の電車は、何故か人が多いしクソみたいに暑い(あのクローゼットほどでは無いが)。まさに、小学生の言語センスで言うなら、地獄だ。死んだら、今このクソ暑い電車という地獄を離脱して、また次の(真の)地獄へ行くことになる。そこに勿論友人はいなければ、(僕は日本人なので)鬼が赤い鍋の前で鼻をほじっている、みたいな景色が広がっているのだと思う。クソ暑い電車という地獄にも、一筋の光(恥ずかしいだけで、天使)がある。満員電車のせいでぎりぎり話せない、白い制服の上に黄色のベストを着たその女の子は、朝鮮学校のマーク?をぶら下げ、僕が地獄に入るときは必ず携帯を見ている。(話しかけるにしても、その学校は中学までしかなく、僕は高校生だから)ダサい気がしてその子には話せないでいるが、それこそが一筋の光(天使)としてある条件なのかも知れない。もし、僕が今の地獄を離脱したあとの地獄で、天使がハープを弾いたり、聖歌を歌ってくれたりしたら、救われるのに……そんな事を考えていたら、目的地に着いてしまう。一筋の光はとうに消えてしまっている。僕が音楽を始めたのは、まさに問に悩まされる地獄の一筋の光として感動したからで、セロハンテープのようにほかのことを修復しようとしたが、結局、地獄は地獄しか生まないから、今も問に悩まされる地獄にいる。もしこの窓を開けたら、クソ暑い電車と、太陽が美しく照らすレールの上で顔を合わせてみたら、ナイフを喉に刺してみたら、本当に、本当に、もしかしたら天使が居るのかな……

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