肉のデーモン

肉のデーモン

最近の記事

金がないと不健康だというのが自論だ。 いろいろ端折ってるんだけど、大体そういうことだ。 もともと銭なきフリーターになるつもりだったので、取り敢えずの仕事があるこの世界線は随分経済的に恵まれた状況なのだけど、それでも人生何があるかわからないもので、頑張って貯めた100万円がいつの間にか底をついた。 というかあと5千円くらいで底をつく。取り敢えずあと10日くらい凌げば給料が20万そこそこ入るので、そこまで頑張ろうと思ってる。 なんでこんなに金がないのかって、別にギャンブルとかした

    • 死にあふれている。

      希死念慮とは無縁に生きてきた。 死にてえと言ったことは何度もあったが、言葉の表面でのことだ。 身内に希死念慮の強い人がいるので常々感じるが、「死にたい」という気持ちにもバリエーションがある。 多様な理由によって、人間は死にたくなってしまう。 いずれにせよ人間は死ぬので、死ぬことがいけないというわけではない。今年曽祖母が亡くなったが、死ぬことそれ自体で彼女を責めることはできない。 何が言いたいのだろう。分からなくなってきた。 死にたい人は溢れかえっているし、特に目立った信仰

      • 擬態する核文学、事の始まり。

        大学の終わりに原爆文学について研究した。 平和や核兵器、記憶の継承に、演じるということ。これまで自分が考えてきた有象無象のひとつの区切りとして、卒業論文をつくった。 死ぬまで取り組んでいかなければならないような大仰なテーマを設定してしまったため、卒業しても核のことばかり考えてしまう。 被爆体験や、核実験の記録、原発事故を取り巻くニュースなどを見続けると、精神がすり減っていく。 広島に生まれた子どもは(そして長崎に生まれた子どもも同様だと思うが)、少なからず被爆者の証言を耳

        • 思い出す、作品の断片

          思い出す、作品の断片。 京極夏彦『鉄鼠の檻』 関口が按摩を受ける場面の、あの触れられた部分が沈む感じ。 祖母も亡くなった曽祖母も母もマッサージが上手くてよく肩を揉んでくれた。あの感覚が思い出される。 高校の時、通学の電車の中で真保裕一『ホワイトアウト』を読んでいた。かなり嵩張るCDプレーヤーで(iPodなど持っていなかった。)宇多田ヒカルの『Time Will Tell』を聴きながら。 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』何度見ても好きな映画。ベッドの下に隠れる

          5月の写真

          なかなか良い写真が撮れた。 これは多摩湖から武蔵境の方の中途半端なところまで長々繋がっている緑道だ。 自宅から15分くらい歩くと、緑道の真ん中あたりに合流する。 朝心に余裕がある時は、駅に10分早く着くバスなんぞ使わずこの道を歩く。 自転車に乗っているのは妻だ。 滅多に着ない緑の服がとても映えている。妖精みたいだ。妖精なのかもしれない。 この写真を撮ったのは5月らしい。 コロナ禍での自粛期間中で、この日は妻と駅前の西友まで買い物に出かけた。 僕も自転車に乗りながらスマホで