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すしにぎ

昨日、お寿司でお腹をパンパンにしたい!と思ったので、お寿司をいっぱい握りました。

サーモンのお寿司 サーモン丼もあるよ

ネタはふるさと納税でゲットしたサーモンのお刺身を使いました。今回使ったお刺身は妙に崩れ易かったので、以前お寿司を握ったときのお刺身の方が握り易かったかも。

前回のお寿司 今回よりネタがしっかりしていて握り易い

お寿司ってお店とか行かなくても自分でも握って作れるんだ!?と気づかされた時の衝撃ってすごかった。ぼくの場合は、オモコロチャンネルの『かんち寿司』の回でその衝撃を受けて、自分でも握るぞ!と思って、それで今に至ります。

こちら、かんち寿司になります。かんちさんの人柄が出ていて良いですよね。

お寿司の出来は兎も角として、お寿司を握れる様になると、お刺身を買った時に、お刺身として食べるか、お寿司として食べるか、という選択肢が増えるのが良いですね。

お刺身を食べることで放出される脳内物質(ここでは仮に「オサシン」とします)と、お寿司を食べることで放出される脳内物質(同じく「オスシン」)って全く別物じゃないですか?オスシンの方が、分泌量がかなり多い気がする。寿司を食った!という歓びが脳全体に行き渡る多幸感は、お刺身では得られない。

お刺身って、良いものを食べても、「脂がのって甘くて美味しい〜」とか、「鮮度が高いから身が引き締まってて美味しい〜」とか、そういう一つ一つの品質の良さに対する解像度を上げることでようやくオサシンが分泌される感じ、しませんか?惰性で食べたらオサシンを出さずにボーっと食べることも可能なんですよ。

この感じ、伝わるか???

でもお寿司って、もうお寿司を見ただけで、「お寿司だ!!!」と思って、そこでもうオスシンがビシャビシャに出てくる。お寿司を惰性で食べること自体が不可能なんですよ。

そんでもってお寿司を食べると、口の中でシャリがほぐれて、ネタの味わい、ワサビの香り、舌を刺す醤油の塩味とが、咀嚼と共に少しずつ合わさっていく、この感覚自体が「お寿司だ!!!」という歓びを与えてくれる。

お寿司を食べるとき、人は「美味しい物を食べたい」と思うのではなく、「お寿司を食べたい」と思う、そしてそれが満たされたとき、オスシンが分泌され、人は幸福になる。そういう話です。

いや、「美味しい物を食べたい」という欲求で寿司を食べる時もありますけどね?そういう時はちょっといいお寿司屋さんに行って食べます。もちろんそういう日もある。

ぼくこの間ちょっといいお寿司屋さんに行った時、初めて芽ねぎのお寿司を食べたんですけど、あれ美味しいですね〜!

芽ねぎのお寿司だけをひたすら食べたい。次のおうち寿司は芽ねぎスペシャルか…?

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