自己否定が、炙り出された夜

7月、私の同僚Uさんがご出産、育児休暇に入られるということで、
お祝いも兼ねた壮行会が、同じ部署、グループ内で開かれた。

その席での話。

一通り食事も終わり、会はそろそろお開きへと向かっていると、
どういう話の流れからか、私の「モテる、モテない」の話に及んだ。

同僚の女性Yさん、Mさんの会話のやりとり。

Yさん「涼平さんて、モテてるらしいねんで。」
Mさん「えー、うそでしょー。」
Yさん「でも涼平さんて〇〇の部署でカッコイイっていわれてるらしいよ。」
Mさん「えー涼平さんが?ありえない。涼平さんてカッコいいですかー?」


その会には職場の女性が10名、男性が私含め3名参加していた。
その話に聞き耳を立てていたメンバーの前で、

「盛大にネガティブキャンペーンされた」

という被害妄想に陥った。


また、私に好意があるという方の話(ここではSさんとする)は、人づてに聞いており、Sさんとの関係は進展しなかったが、密かにお誘いの手紙なども頂いた。

それらSさんとの、少しばかりのやりとりのシーンが甦り、

「それらの事実を土足で踏みにじられた」

そんな感情も出てきたのだ。

Mさんは年齢にして自分より10歳程度年下ということも手伝い、
私の感情を増幅させた。

「なんで、あんたに言われなあかんねん。」
でも、言葉には出さなかった。

「そんな心の広い人もいるねんで!」
その頃、仕事で少しばかり疲弊気味だった私にとっては、
そうリアクションするのが精いっぱいだった。


私の気持ちは、非常にモヤモヤした。
解散後帰宅してからも、私はその”モヤモヤ”を引きずり回した。

「令和の三感王」の権威も何も、あったもんじゃない(笑)

気分転換に入浴後、静かに私は自分のこころと向き合った。

すると、声が聞こえてきた。

「おい、涼平待てよ、 
 お前、本気で自分がモテると思ってるのかよ。 
 本当は、どうなんだよ。」

そう、囁いた。

「エッ…!」

なんと、私は自分のこころと、潜在意識の深い部分でコンプレックスを持っていたようだ。

そもそも普段「モテる、モテない」なんて観点でものをみないし、行動しない。
必要最低限の身なりを整える程度。

唐突に突きつけられたネガティブキャンペーンによって、
「モテないと思っていた」自分の自己否定が、見事に浮彫りになったのだ。


「目の前で起きていることには、意味がある。」
まざまざと、そう考えさせられた。


ふとした同僚の発言から、湧き出た感情によって、
隠れざる自己否定に気づいた出来事であった。


今日も書ける喜びに、感謝。







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