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少しづつ見え始めた、大切なもの。

皆さんにはあるだろうか。「大切」と呼べるもの。

それはモノだったり、関係だったり、考え方だったり、愛情だったり、実物から概念的なもの、実態のないものまで、さまざまあると思う。

そこで考えてみた。僕にはあるだろうか。「大切なもの」。
考えた結果、出した答えは、「いま」だった。

考える過程で、「大切とは何なのか」、「僕たちは何を大切と判断するのか」。
少しづつながら見え始めた、僕なりの「大切」について、書き記しておこうと思う。

まずは、「大切とは何なのか」について。
僕は、「日常で不意に、愛おしさや儚さ、感謝を感じるもの」だと思った。
もっといえば、「崩壊性のあるもの」「“いつかなくなってしまうのではないか”と感じるもの」だ。

皆さんは、いま自分が大切にしているもの、関係、時間、価値観、あるだろうか。

関係の崩壊、時間の喪失、価値観の変化、どれも自分の今後の体験や環境の変化によって、起こりうることだ。

ずっとは続かない、いつか崩壊するかもしれない、そう思っているから大切にするのではないだろうか?

僕はかつてnoteで、「永遠」というものに少し触れた。
“終わりを知っている者どうしが、それでも互いを想い、願う永遠こそ、永遠に最も近い”と。

“終わり”という漠然とした絶望感は、きっと僕らの考えを改めさせてくれるのだろうと思う。
“いつか終わるもの”に想いを馳せ、大切にしよう、愛そうとすることは、儚くも美しい。

“いま”にも、終わりがある。僕らを取り巻く環境は常に変化していて、僕たちの毎日は、“いま”という瞬間の連続でできている。

僕らがきっと来ると思っている明日も、当たり前ではなくやって来るものだ。

だからこそ、僕は“いま”が大切だ。

ここまで生きてきて、たどり着いた“いま”。

僕の話を聞いてくれる人がいて、僕の創作するものを認めてくれる人がいて、僕という存在を見て、感じてくれる人がいるとわかった。
とても暖かい居場所だ。

僕はここで、たくさんのものをもらった。
だから、精一杯返せるように大切にしていくんだ。

僕もここで、永遠を願っていようと思う。

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