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正社員、駐在妻、フリーランス…働き方の多様性を経験して【多様性発信プロジェクト #7】

「会社員を辞めること」はとても勇気がいる決断です。学校・企業への就職と当たり前のように続いていた「組織の一員としての自分」を抜け出すときの不安感や喪失感、転職や離職経験のある方は少なからず感じたことがあるのではないでしょうか。Warisでは、フリーランスデビューをご支援させて頂くことが多いのですが、その機会をポジティブに捉え、ワクワク感がもてるお仕事紹介を通じて、ご登録者の長い人生に寄り添っていきたいと考えています。会社員から学生・フリーランスへそしてまた会社員へと。環境を逆手にとって前向きにキャリアを変えてきたメンバーのメッセージが皆様の参考になると嬉しいです。
#多様性発信プロジェクト


はじめまして。Warisでインサイドセールスを担当している、海外在住×業務委託メンバーのMです。

Warisでは、共同代表の女性3人が3拠点(東京・福岡・ホーチミン)でリモート経営をしています。代表だけではなく、メンバーも全員フルリモートで働いており、居住地・働き方もさまざまです。

(Warisメンバーの多様性について、インフォグラフィック動画を作成しました。ぜひ「Warisで見つけた!多様性を紹介します」も合わせてご参照ください!)

そんなWarisから多様性を発信するプロジェクト、今回の記事のテーマは「働き方の多様性を経験して」です。

わたしは大学卒業以来、大手企業の正社員、駐在妻×大学院生、フリーランス(通訳ガイド/ライター)など、直線型ではない凸凹キャリアを歩んできました。

この記事では、多様な働き方をしてきたことで、
「キャリアは多様であっていい」
「キャリアに完成形はなく、一生通じて築きつづけていくものだ」
と学んだ経験について、お伝えしたいと思います。

夫の駐在帯同経験を通じて「キャリアは多様であっていい」と気づく

多様な働き方といっても、自ら能動的にその道を選んだ、というわけではありません。むしろ、駐在帯同やコロナ禍など、向こうから押し寄せる環境変化に対応しようとじたばたもがいているうちに、気づけばここにたどり着いていた、というほうがしっくりきます。

20代は仕事最優先で過ごし、当時は「大手企業でキャリアアップ」していく未来図しか描いていませんでした。ところが、30代はじめに、夫の海外赴任先に帯同することになります。

「仕事を優先させたいなら、単身赴任でもいいよ」そう夫はいってくれたけれど、当時息子はまだ1歳にもなっておらず、家族が離れて暮らすことは考えられませんでした。

とはいえ、「ブランクがある子育て中の女性は再就職が難しいらしい」「このままずっと仕事できないままなんじゃないか…」といった不安や焦りはなくならず、夫に八つ当たりしてしまったりも…。

でも、同じ立場のママたちの集まりに参加したり、現地の言葉を学んだり、「いつかは」とぼんやり頭にあった大学院進学を実現させたりと、そのときできることを探して取り組むうちに、多様な生き方をする人達との出会いがありました。

キャリア経験も豊富ながら「いまは家族を優先したい」と駐在帯同し、家事と育児に専念する生活を慈しんでいる人。
バックパッカーとして海外を放浪しながら貿易の仕事を始め、そのまま起業した人。
人気テレビ番組の制作という花形キャリアを手放して、語学留学にきている人。
大学院で研究をしながら、日本語講師をしたり、社会運動に従事しつつ、専門分野に関わる仕事を広げていっている人。

「会社員だけがキャリアじゃなく、多様であっていい」
「そのときどきの気持ちや状況を大事にして、仕事以外を優先してもいい」
「キャリアはもっと自由に築いていけばいい」

彼らとの交流を通じて、それまで抱えていた「キャリア=企業でずっと働く」という固定観念が薄れていき、これまでとは異なる働き方もしてみたいと考えるようになりました。

帰国後、フリーランスとして仕事を再開することに

息子が年中さんの終わり頃に帰任が決まり、「ここからキャリアを再構築していくぞ」と鼻息も荒く、フリーランスとして通訳ガイドの仕事を始めることにしました。

2015年当時、インバウンド業界(*)は急成長し始めたばかり。春と秋の繁忙期には経験豊富なベテランさんだけでは人手が足りず、経験がない新人にも仕事獲得の機会がありました。
(*ここでは、外国人観光客を対象にしたビジネス全般のこと)

運とタイミングに恵まれて仕事を得て、通訳ガイドとして経験を積みながら、わたしはまたいろいろな思い込みから解放されていくことになります。

外国人観光客の方々の多くは、歴史や伝統文化だけではなく「現在の日本に生きる人達がどんなことを考え、どんな生活を送っているか」に興味を持っています。「会社員として働いていなかった時間」はネガティブな意味でのブランクではなく、会社員以外の経験をしてきたことや、ブランクがあることに葛藤を覚えたことこそが(現代日本社会のありようを伝えるエピソードとして)ガイディングの恰好のネタになりました。

ツアー中は一人でお客さんたちの前に立って仕事をしつつも、ガイド仲間と常に情報交換やサポートをし合うような強い連帯感があったり、お客さんに応じてアプローチを変えて接して信頼関係を築いたりと、会社員時代の営業職との共通点が意外と多いことも、そういう仕事が向いているとあらためて気づけたことも、興味深く嬉しい発見でした。

また、ガイド仲間には子育てが一段落した女性や会社を定年退職した男性など、50〜60代から通訳ガイドの仕事を始めた方も多く、年齢に関わらず業務に必要なスキルさえあればいつでも始められることにも驚き、励まされるような思いでした。

通訳ガイドの仕事に夢中になり、あっという間に4年が過ぎた頃、夫にふたたび海外赴任の話が持ち上がります。「天職」とも思えた通訳ガイドの仕事を辞めたくなくて、クライアントと交渉し、ツアーのたびに赴任先の国と日本を行き来することで、仕事をつづけられることになりました。

仕事量は減らさざるを得ず、フライト代など出費も増えましたが、駐在帯同しながら仕事をつづけるという選択肢を持てるようになったことを、とても嬉しく思ったのを覚えています。

コロナ禍での失業とWarisとの出会い

ところが、「駐妻になっても通訳ガイドの仕事をつづけられる!」と喜んでいたのも束の間、突如始まったコロナ禍で海外渡航が自由にできなくなり、すべての仕事がキャンセルとなってしまいました。

当面インバウンドが再開する見込みも立たず、やるせなさを抱えながらも「できることをやるしかない」と憧れていたライターの仕事に挑戦することを決め、そのうち社会起業家やNPO創業者の方々に取材をする機会に恵まれるようになりました。

「どういう想いで事業を始めたか」をテーマにお話を伺ううちに、「社会課題の解決に貢献できる仕事」や「理想とする社会の実現に寄与する仕事」に強く心惹かれるようになり、そのタイミングでWarisに出会いました。

Warisが事業を通じて解決しようとしている課題こそ、当事者として向き合ってきたことであり、Warisが掲げる”Live Your Life”(「すべての人に、自分らしい人生を」)は実現したい社会のありかただと確信しました。

“Live Your Life”に完成形はない

このような20年(!)にわたる試行錯誤ののち、いまわたしはWarisで働いています。

多様な働き方を経験してきたことで、無意識にとらわれていた思いこみを少しずつ手放し、自分自身をより深く理解することで、本当はなにを望んでいるかに以前より向き合えるようになったと感じています。

一方で、いまのキャリアが完成形というわけではなく、想定外の出来事や、家族の事情、あるいはわたし自身の価値観の変化により、また方向性が変わる可能性があることも学びました。

「多様性の尊重」というと大仰に聞こえるかもしれませんが、自分自身をよく理解し、自分が望む人生を生きようとすること、そして、社会に生きるすべての人達がそうあることを同じように大事にする、ということだと理解しています。

Warisの事業を通して、「自分らしい人生とはどのようなありかたなのか」を常に考えていきたいし、誰にとっても”Live Your Life”が実現できる社会に近づけるよう、力を注いでいきます。

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