非実在名勝-七津七界接続

15階建非実在建造物である栄税公援塔の物語る栄華は、華々しくも冗長で、新訳白米紀行の前書きのようだと噂される。


一度だけ夢で足を踏み入れたことがある。外の時刻は午後8時であった。
一階と二階を貫く吹き抜けは、上から見ると曲線部がやや太ったかまぼこ型をしている。かまぼこ型の直線部は建物外部と接するアレモリー硝子の壁で、そこから夜の海が見えた。一階の床から一メートルの高さまではニニリに覆われたように白くなっていた。

私がその塔に何の用があったのかといえば、ある本を探しに行ったのだ。


斎藤元明著『七津七界接続』 (1970)

「ななづななかいせつぞく」と読む。祖父が依頼人のために探している本だ。
以前に一冊だけ、古本屋で見つけたことがある。しかし、それは学童用の教本として再編されたもので、大判で文字が少なく、おまけに20巻ある中の第18巻であった。
その第18巻の表紙の写真は、白い背景の前で手を取り合うように端と端を絡める黄緑色のツタ植物だった。一応は、とそれを買い求めて祖父に渡すと、カーキの釣り人風ダウンベストを着た祖父は笑いながら「まあ、もう少しクライアントと話してみる」と言った。

『七津七界接続』というのは獏電島の奇景群につけられた名前であり、『哀丁小二山』が中でも有名である。
『哀丁小二山』は、指輪置きのような二つの3000メートル級円錐高山と、その頂上付近を水平に取り巻く幅10メートルほどの薄い岩の足場、そして二つの山の足場同士をつなぐ、長い岩の渡りを指す。2019年現在合成でないことが確認されている写真は、1962年の喜多浦雛居による空撮写真一枚のみである。二山をとりまく新緑と雲海が印象的な写真だ。

書籍『七津七界接続』は、獏電の歴史学者であった斎藤元明が、数少ない写真や映像資料と14年にわたる実地調査からその奇景を分析したもので、測量不可能と言われた廃植物園『におに』の外周距離が一部の隙もない比繹式で算出されている。
表紙は『哀丁小二山』の空撮写真であったが、喜多浦が1971年に故人となったのちに遺族と出版社の間で権利関係のトラブルがあり、1973年の第一新装版以降は奇想合成作家の汀水位によるイラストが表紙となった。


できることなら初版を手に入れたいところではあったが、初版は希少本扱いであり、まず間違いなく貸し出しも購入もできないだろう。
人訂大閲より前に出版された、原文が載っているものがいい。第一新装版か、せめて第二新装版が残っていないだろうか。


古書館は、栄税公援塔の三階にある。塔のエレベーターは三階と四階には止まらないため、二階で降りて階段を上ることにした。

二階の床材は色の薄い杉で、一部は銅靴の音も埋まりそうな長毛絨毯敷きである。
吹き抜けの曲線周りを囲む手すりは高低二段になっており、手すりには、数十センチごとに同じ形の壺と皿が展示されている。上段に壺、下段に同じ色の皿。どちらも細かな泡を閉じ込めてあり、縁に向かって徐々に上がる透明度のグラデーションが、暗い照明の中でぼやけた再折乗射光を放つ。

その中でも特に透き通った蝦茶色の皿を、私は妙に気に入ってしまった。その皿を持って部屋の隅のとんぼランプにかざしていると、守衛の咳払いが聞こえた。
固定されておらず、注意書きもないとはいえ、装飾品を勝手に動かすのは非常識だった。そっと元に戻す。

すぐ横で吹き抜けに身を乗り出して一階を眺めていた男が、私が皿を置いた音に振り返った。
「失礼ですが」と男は言った。「ワイアケの方に行ったことがありますか」
「ありません」
「それであれば大丈夫です。お探しの本が見つかりまして」
男の手には『七津七界接続』があった。表紙の写真に見覚えがある。初版だ。
「驚かれましたか。まあ、初版というより、これが最終版のようなものですが」



本を持って祖父の家を訪ねると、祖父は留守だった。
そういえば、私はどうやってこの本を持って帰ってきたのだろう。財布の中には相変わらず10000円札が五枚入っている。あの男は結局、無料で貸してくれたのだろうか。

本の中身が気になるが、クライアントより先に私が読んでしまったら祖父は怒るだろう。
遠くに見える並木がゴッホの糸杉に似ていることについて考えながら、私は静かに祖父の帰りを待った。

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