幽霊

幸いなことに、私の霊感や第六感は産湯と一緒に流れていったらしい。

幽霊は見えない。墓でも人の気配はしない。心霊スポットに気づかず通り過ぎる。腹の虫は過剰に主張するが、それ以外の虫の知らせはやってこない。

中坊のころに天使の階級を調べたくらいにはスピリチュアル話に興味があるし、幽霊も「いるかもしれないな」くらいには思っている。
ただどうしようもなく身体感覚も感受性も鈍いので、「気配がするよね」みたいな話になると「しないなあ」となる。


オカルトの類は、否定派から「そんな非科学的な話」と言われがちだ。

非科学的というのは「実証的なデータや論理的思考をもとにしていないさま」(weblio辞書より)とのことである。この「非科学的」という概念を持ち込んで「幽霊の存在」について議論すると、最終的には幽霊の存在非存在ではなく文意の解釈で喧嘩することになってしまいそうだ。

さて、話し相手がいないので、一人脳内議論から喧嘩になってみよう。
無理やり脳を二分割しているので、破綻してもつっこまないように。


【肯定】
あなた方は幽霊の存在を非科学的だと言って否定するが、そんなことはない。
「実証的なデータ」の実証的というのは、実験によって得られた結果のみならず、観測、経験された事実をもとにした論証も含む。
幽霊を見た人間は何人もいるので、幽霊は「観測、経験された」ことになるし、幽霊を見たという彼らの経験は「事実」である。

【否定】
それが「亡き人の魂」であるかどうかはそこからは確認できないから、肯定されるのはせいぜい「彼らは何かを見た。それは彼らの言う人の魂か、その他の自然現象、人為的な事物、脳内現象のいずれかである」というくらいである。
そのため、「亡き人の魂としての幽霊を視認した」ことが事実とは言えない。肯定されるのは幽霊の存在ではなく、幽霊のように見えるものを目撃した、ということであり、幽霊のように見えるものを目撃したという主張なら初めから非科学的などと批判もしない。

【肯定】
状況から見て人為的には不可能、自然現象でも発生し得ない、脳内現象ではありえない(観測者が知らない事実を幽霊が話す)など、幽霊のほかに説明がつかないであった場合はどうなるのか?

【否定】
幽霊以外の説明がつかないと思われるような実例があるのかどうか怪しいが、もしあるとすれば、まだ解明されていない自然現象、化学反応などによる現象であるだろう。

【肯定】
それらの未知の現象こそ実証的なデータもまだなく論理的に導き出された結論でもない。

【否定】
人為的には不可能、自然現象でも発生し得ない、脳内現象ではありえないとして、消去法で考えればそうなる。

【肯定】
それは幽霊が存在しないことを前提にしている。

【裁判長】
異議を認める。

【肯定】
続けます。たとえば「未知の自然現象」か「幽霊」以外の説明がつかない事象があったとして、「未知」は「未知」なのだからすでに観測されている分「幽霊」の信ぴょう性の方が高いとは思われないか。

【否定】
「未知の自然現象」は「未知」であるうちは確かに観測されていないが、それを「未知の自然現象」の存在の否定材料とするのは詭弁である。
「自然現象が新たに知られる、解明される」ことは今まで幾度もあった。その「新たな」解明というのがそれまで「未知の自然現象」が存在したということを表している。今現在もそういった「未知」が多く残されていると考えるのは妥当である。

【裁判長】
双方に問いたい。「亡き人の魂が幽霊として姿を現す」という現象が、実は自然現象として「あること」であり、ただ今はそれが「自然現象としては未知」であるだけ、という可能性はないのか。

【私】
わけわかんねえから終わっていい?



《結論》
無理。夜中に一人で議論するのはやめよう。

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