証拠が大事

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「お前の娘がさ、通り魔に強姦されてさ、死んだと。いや犯すつもりはなかったんです、合意の上です、殺すつもりはなかったんですと。腹立たない?」

「娘が、顔がグシャグシャになって頭がグシャグシャ、脳味噌飛び出て、車に轢き殺されても……」

 と、つないだ上で、

♪ そんなつもりがなかったんですーーー

 で、済むと思ってんなら同じこと言い続けろ〜〜〜〜〜




この他にも彼女は政策秘書に、

「お前らは白痴か!」

「うん、死ねば? 生きてる価値ないだろ、もうお前とか」

 とまで、言い放っている。

 政策秘書が改めて語る。

「自民党は人材を総合的に吟味し、適切な候補者を再発掘すべきだと思います。秘書の人権を守る公的なセーフティネット構築のためにも、今回の件をうやむやにすることはできません。警察に被害届を出します」

 当の豊田氏に、埼玉県内のレストランから出てきたところで取材趣旨を告げると、再びレストランに引き返し、店内に籠城。政策秘書を殴り、罵倒した「威勢」はどこへやら、だんまりを決め込んだのだ。

 なお後日、豊田事務所は書面で、暴行について〈手をあげてしまった〉と表現し、〈お見舞い金〉という金銭での解決を目指しているとした上で、

〈「お前の娘が通り魔に強姦されて死んだらどうする」といったような発言はしておりません〉

 と、録音内容を否定するさらなる暴挙に出たのだった。




家庭環境 両親の証言


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取材を進めていくと、どうやら彼女は、現在のマンションでも住人とトラブルを起こしていたようだ。

「マンションの前でお母さんたちが日焼け止めのスプレーを使っていたんですが、近づいてくるなり“におうし、煙たいからやめなさいよ!”と怒鳴られたんです。周りのお母さんたちも驚いていましたね。近くの薬局で偶然見かけたときも、リップクリームを買おうとしていたのですが“陳列がわかりにくい”とキツい口調でクレームをつけていました……」(前出・住人)

 明らかに常軌を逸しているが、そもそも豊田議員の両親は、この騒動をどのようにとらえているのだろうか。彼女が生まれ育った千葉県内の実家を訪ねてみた。


 午後4時を過ぎたころ、車で両親が帰ってきたため「娘さんの件で……」と父親を直撃すると、記者の声をさえぎるように話し始めた。

「その件はいま話しても意味はないでしょう。君たちは結論が決まっとるから。いずれ山ほど話すことはあるよ。約束はできないけど……」

 白髪でヒゲをたくわえており、話し方は落ち着いている。

─娘さんがこのようになる兆候は、小さいころからありましたか?

「君に幼い娘がいたとして、今の段階でそういった兆候が見えると思うかい? 見えないだろう。子どもというのはそういうものだ」

─暴言を吐いたときは機嫌が悪かったんでしょうか?

「なにか事情があったんだと思いますよ」

 娘の心情を必死に理解しようとするあたり、父親としては何があっても信じてあげたいのだろう。ここで母親が現れ、苛立った様子で割り込んできた。

「マスコミは相手にしませんので…」

 続けて激しい口調で、「もう、いいから早く家に入んな!」と夫にまくしたてると、こちらの取材には答えてくれなかった。所作や話し方が豊田議員とそっくりだ。

父親は

「本当に娘が言ったのだろうか」

と語ったそうです












録音しないと悪事ってバレないんだよね

ドライブレコーダーも大事


録音したことが最大のファインプレーです

なぜなら、この議員に付いた100人以上秘書が辞めており、同じように暴言吐かれていたと思いますから。

最後の秘書が録音したことで、負のループが終わりました。


実際は悪行が表に出るのは0,1%ほどだと思われる

皆録音しておこう

悪い事をした人には決定的な証拠が必要なのです

証拠がないと言ってないで逃げられる

99.99%状況証拠が揃っても

やってないで逃げられる

ハゲー議員だけじゃないですよ。各所の職場の上司やクレームの客とか

日本の人口の1%程度いたとしても120万人ですか

もうその1%いらないと思いますからね

勘違いおじさん、勘違いおばさんがいるだけで相当生き辛いですからね

それの為に99%の人が苦労してますから。



あ、またこんな古い話題しちゃったー



追記 嘘を吐く人の精神構造について

豊田氏は、あくまでも週刊誌報道を否認し続けることによって、難局を乗り切ろうとしたわけである。

自分の主張に対して元秘書をはじめとする周囲の人々が反論するかもしれないとか、“嘘(うそ)つき”と非難されるかもしれないとは考えなかったのかと、首をかしげざるをえない。もっとも、自分にとって都合の悪い事実を突きつけられると、とりあえず否認するのが人間という生き物である。

というのも、否認は、アメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー・ロスが見抜いているように、「不快で苦痛に満ちた状況に対する健康的な対処法」にほかならないからだ。否認には、「予期しないショッキングな知らせを受けたときにその衝撃をやわらげる」機能がある。したがって、困難な現実に直面すると、最初は誰でも多かれ少なかれ「否認によって自分を落ち着かせ、時間が経(た)つにつれ、別のもっと穏やかな自己防衛法を使うようになる」(『死ぬ瞬間―死とその過程について』)。

否認は一時的な自己防衛にすぎない
重要なのは、否認はあくまでも一時的な自己防衛にすぎないということだ。時間稼ぎと言ってもいいかもしれない。ところが、中には、ある程度時間が経っても、否認し続けようとする人がいる。こういうタイプは、豊田氏のような高学歴エリートに比較的多いように見受けられる。

これは、3つの理由による。まず、高学歴エリートほど失うものが大きく、喪失不安が強い。それゆえ、自己保身のために否認し続けようとする。豊田氏も、暴言や暴行の事実を認めてしまうと、議員辞職に追い込まれ、自分自身のプライドを支えていた衆院議員の肩書を失うのではないかと危惧(きぐ)した可能性が高い。

また、自己愛の傷つきを恐れるあまり、目の前の現実をどうしても受け入れられず、錯誤に陥りやすい。ときには、「~だったらいいのに」という願望をあたかも現実のように思い込む「幻想的願望充足」の状態になることもある。そのため、否認し続けると、かえって状況が悪化しかねないのに、それを認識できず、合理的な判断ができなくなる。

さらに、なまじ頭が良く、弁も立つだけに、否認し続けていれば周囲も信じてくれるはずと思い込みやすいことも重要な要因だろう。つまり、自分自身の能力を過信しているからこそ、否認し続けるのだ。もっとも、それがかえって怒りや反感を買うことは、豊田氏を見れば一目瞭然である。


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