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明日のたりないふたり

6月6日夜

そういえば、私は友達が多くない。友達よりも私を嫌い(苦手)な人の方が多いことは確かである。

最近社会に出て思い出した。私は小学校から高校まで特に周りとなじめることがなかった。もちろん、友達と呼べる人間は僅かながらいるけれども、それはいわゆる「馴染む」という状態からはかけ離れていただろう。

特に中学時代は馴染めなかった。中学入試をして入ったそこは大半が小学校からの上がりで、デブでクソ生意気な空気の読めない私は標的にされた。登校すれば机がひっくり返っていたり、ロッカーにあった教科書がぶちまけられたこともある。激しく人という存在に嫌悪した。吐き気がした。無論、それは私自身例外ではない。2年生に上がった私は笑うことを覚えた。周りに合わせてヘラヘラし、クラスメイトにくっついて歩いた。一人で教室を移動することを恥だと思っていたし、昼休みや下校を何としてでも誰かといようとしたこの感情は忘れることはないだろう。結局、私は吐き気に耐えながら3年間を過ごした。そこで大切な友人に出会えたことは、確かに一生の宝ではあるが、その時にはもう仮面を外し世の中に対して唾を吐いていた。

そんな我が家では「いじめられるのは誇るところのないお前のせいだ」と母親から言われた。決して見捨てられたわけではない。学校で問題が明るみになった時、母親の抗議は当時少なからず味方であるという評名があった。ただ、彼女は「勉強をしろ」の一点張りで、私は親に言うことをやめた。

ふと思えば、私は幼少期から母親に言うことをやめていた。私の意見は通ることがなく、会話の絶えない家庭ではあったが、それは母親の演壇だった。いつも喧嘩であった。今でさえも直らない。会えば喧嘩をする。これはもう無理かもしれないと、漸く私は決断をするかもしれない。今でも覚えているが、小学校の時でさえ母親は私がサッカーのチームで嫌われていることを、小学生の私に暴露した。「お前は嫌われているんだよ」ということを子供に言ってしまう親の感性はいつまでたっても私にはわからない。

高校は偏差値的には悪くなかった。しかしそれ以上に、中学の通信簿が良い学生、つまり空気の読める優しい「普通の子」が多かった。これは私の気持ちをやや落ち着かせるものになった。ただ、進学校からの転落を認められない私はプライドを捨てきれず振り回すことさえしなかったが、竹槍の角度をより鋭いものに磨き上げていた。また、「陽キャのノリ」「陰キャのイキリ」に対しては凄まじい罵声を浴びせていた。まじめな学校あるあるではあるが、DQNのいない学校で真面目ちゃんたちがイキるのが見てられず、常に許さなかった。陽キャは何も考えていない能無しで、自己承認欲求を極みとし物事を浅く人の気持ちを慮ることのない幸せな目障りだとドブに投げ捨てた。

それは大学に入ったからといって直ったのだろうか。ただ少なくとも、京都大学という場にはそれを矯正させるような雰囲気はなかったし、特に珍しい感性でもなかった。各々が思ったように感じたことを話し、考えていたあの時間は、私が社会に馴染めていなかった時代を忘れるには十分であった。

社会に出るとつくづく浮いていることを感じる。もちろん、同期とUSJやディズニーに行くような職場ではなかったから、そういう心配はない。ただ、電話応対は間違えるし、何度やってもメールを間違える。きちんと文を読めと言われる始末である。なぜだかはわからないが、できない。周りの考えていることがわからない。上司のいっていることは間違っているとおもうし、先輩の発言もよくわからないが、ひたすらに謝罪してヘコヘコしている。あぁ、向いていないなと感じる。私が考えていることは伝わらないというのはとてもよくわかる。面と向かって10時間飲み続けて、しかも向こうが耳を傾けて、かつ勉強熱心な知的センスの持ち主であれば、伝わるかもしれない。ただ、そういうことは面倒だし、他人には意味が分からない。

たまに職場の会話で余計なことを言ってしまう。自分の話が多い私は、ついつい雑談で口を挟む。すると明らかに会話の流れを止めてしまっていることに気が付く。あぁ変な余計なことを言うやつだと思われているのだろう。いつも「そうなんですね」という一言でよいのになぜか間違える。どうしても直らない。

どうなのだろうな。私はどうやって生きるのがいいのだろうか。いくら向いていないからって、じゃあ好きなようにやらせてもらうよ、となどそんな簡単な話ではない。私はいつだってそっち側に行きたい。そっち側で厚顔無恥に輝ける人間になりたいと思う。しかし、なれないしなりたくない自分がいるのもよくわかる。

ある、人をよく見抜く経営者に言われたことがある。「君は自分が強すぎる」と。「君の経歴は誰が見たって評価してくれる。学歴だって、成績だって、サークルだって、何も言わなくたって評価されるだけの立派なものだ。」「なのに、俺を見てくれ、と言わんばかりに主張をする。物事はな、5:5でいいんだ。100:0じゃないんだよ。」「そういう意味で、お前は損をする。人の上に立ちたいと思っているが、このままでは人の上には立つことはできない。」

私には竹槍しかなかった。劣等感を武器に小心者であるがゆえに向上を目指していたのかもしれない。組み手に持ち込んで関節技を決める戦い方をやってきたが、キマった相手や観客は勝者を視界から消す。敗者に寄り添いながら手を携えて去っていく。人間力というモデルガンもないわけではない。ただ、そんな私のガラクタは普通の人が見れば銃刀であることに気が付く。だから、私を認識する人は銃刀の珍しさに、その刃の形を面白がり笑ってくれる人ばかりである。

やはり、どうしたってたりたいと思う。「たりてない」とひとたび気が付けば、その差はなくなることはない。足りてるというは100%しかないのであって、足りてないのは99.9%~0%なのだから、いくら近づいたってそれが、「紛い者」であることは本人が一番よくわかる。たりないことが、絶対にたりることがないことを知っていながらも、たりたいと思う。

向こう岸に連れていくヘリコプターはいない。それでも向こう岸へと泳いで渡ろうとする。世の多くの人にやはり嫌悪をいだく。たいていのたりない(と自覚しようとする)人間は大抵は向こう岸にいるか、開き直っている連中だからだ。

たりない、というのは相対的なものなのだ。つまり世間と自分を常に見比べている。大半の人間は自己中心的に自分だけを見て、そのわがままさを正当化するために「結論」だけもってきて「みんな違ってみんないいよね」みたいたクソみたいなことを言う。そんなものはたりない人間ではない。我儘な大人だ。たりない人間はそういうやつが一番気に入らないのだ。

どうしたらいいのだろうか。私はまだ自分がわからない。
でも明日はやってくる。私はなけなしの竹槍とモデルガンで、また働きに出る。

やっぱり、ひとりじゃくてふたりがいいなァ。


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