法務庁特別審査局調査員・佐伯

 ごった返す人々の放つ臭気。汗と熱気がいっしょくたになった猥雑さ。芋飴は公定価格の五〇倍の値段がついている。

 闇市の飯屋で、一杯五円の肉入りうどんをその男はすすっていた。

「稼いでるんだろう? なんでこんな場末で食ってる」
「こういう場所のほうがその国の日々の暮らしがわかる」

 流暢な日本語でダニエル・リーが答えた。そんなもんかね、と佐伯は言った。
 妙なもんだ。佐伯の生きてきた世界では敵と味方が目まぐるしく入れ替わり、嘘と裏切りが横行していた。まさか敗戦しリーと轡を並べるとは──いま奴の所属は米陸軍対敵諜報部といったか。

「少し歩こう」

 得体の知れない肉を飲み込み、リーが立ち上がる。まさか人肉ということはあるまい。佐伯は頷き、ふたりは雑踏のなかを足早に歩く。人混みに紛れたほうが盗み聞きもされ難い。

「警察力整備拡充要綱は知っているな」
「もちろん。陸海軍解体に伴う力の空白を埋めるために、内務省が旧軍関係者を吸収し準軍事力とインテリジェンス能力の獲得を目指したことだろ」

 もっとも、アメリカの横槍で頓挫したはずだったが。
 そうだ、とリー。視線だけを動かし、周囲を一瞥する。なにかを警戒している挙動。

「板垣竜胆という男の名に聞き覚えは?」

 知っているとも。佐伯は沈黙をもって肯定を返した。満洲国ハルビン特務機関に属し、大陸で数々の謀略戦に携わってきた人物だ。

「板垣は拡充要綱の中核をなすことが期待されていた」
「優秀だったからな」
「だが計画は不発に終わった。彼は地下に潜った」
「ああ」
「いま板垣は武器を集積し、くすぶっている元軍人を集めている」

 目的とするところは明白、そんな口調だった。

「奴を止めろ」

 人の渦を抜け、リーと別れ佐伯は煙草に火をつける。苦い味が記憶を刺激する。

 あんたが敵に回るか、板垣中佐。
 法務庁特別審査局の調査員、佐伯秀一はゆっくりと煙を吐いて宙に棄てる。

 畏敬と忠誠もろともに。
【続く】

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