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イン・プレス・イリーガル

 東欧の酒はぬるくてまずい。
 頬張った肉もゴムのようだ。噛んでも噛んでも硬いままで、無理やりに酒で流し込む。外国人向けのホテルといえど、この程度のクオリティとは。

 私は不満とともに嘆息する。

 視線で周囲を伺う。閑散としたレストラン。客も少ない。欠伸交じりで暇そうな給仕。これではろくに外貨も稼げまい。
 共産圏のひなびた小国。防諜機関のレベルもさぞ低いだろう。

 秘密情報部ザ・ファームに依頼されセールスマンの偽装身分レジェンドで入国したのはいいが、拍子抜けのまま任務は終わりそうだった。伝統に従い緑色のインクで作戦に署名したコントロールの懸念は、杞憂に過ぎなかった。
 もっとも張り合いはない。この世界に十年いる私にとって、いつしか危険は鼓動を早鐘のように打つ快楽となり、事後の解放感は至上の満足となった。私にとって「何も起きない」のは実に面白みがない。
 内心を見て取られたようだ。

「退屈そうだけど?」
「ああ、すまない」

 昨日バーで知り合った彼女の言葉。口元には咎めるような曲線。

「ちょっと考え事をね」

 流暢な現地語に、彼女が頷いた。外国人受けする髪型とメイク。とびきりではないが人目を惹く美人。
 私は溜息と嘲りを交え、英語でそっと呟く。

「まさか監視の目もないとはな」

 彼女が苦笑する。

「あら。目の前にあるけれど?」

 レストランの入り口が騒がしい。黒い制服の男たちがなだれ込んでくる。内務省管轄下の治安部隊だ。指揮官が顎を向ける。部下たちが私を囲む。
 そうか。やはりCの懸念通り、組織は浸透ペネトレイションを受けている。情報漏洩者もぐらがいるのだ。
 彼女が朱唇をカップにつける。楽しげに。私も挑戦的に微笑む。心踊る展開なのだ、ここで狼狽えては舞台をあつらえた彼女スワローズの面目が立つまい。

「なるほど。私の諜報技術トレードクラフトを見せる必要があるようだね」

【続く】

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