ニューヨークでがんと生きる


私の友人のひとりが尋ねる。

「がんがいつ戻ってくるか分からない、と知りながら生きるっていうのは、どんな気持ちなんだろう。夜中に急に目が冴えて眠れなくなったりする?」

私は、そういうことはない。がんにかかってから、死はいつも私のかたわらにあって、私の行動をチェックしてきたように思う。「つまらぬ時間を使うな」「つまらぬものを買うな」「仕事はまじめにやれよ」・・・・・・。

むろん、死の存在を忘れて、つまらぬ時間を使ったり、つまらぬものを買ったり、仕事を怠けたりもしているけれど、そういうことをしたあとは、すぐに死のことを思い出す。完璧な生き方などできるわけはないのだから、小さな後悔を繰り返すのは仕方ないが、大きな後悔をしなくてすむように、としょっちゅう気を引き締めている。


これは、フリージャーナリストの千葉敦子さんが書かれた「ニューヨークでがんと生きる」の一節。

男女雇用機会均等法が制定される約20年前の1964年、東京新聞に入社し、その後留学や起業を経てフリーのジャーナリストとして活躍した千葉さん。本の名前の通り、千葉さんは乳がんを患い、約6年間の闘病の末、46歳の若さで亡くなります。

ちょっとしたきっかけで昨年手に取った「ニューヨークでがんと生きる」。それまで、恥ずかしながら千葉さんのことは知りませんでした。

驚かされたのが、彼女の決断力と行動力。最初にがんが発覚してから約3年後、いつ再発するかも知れぬ病を抱えたまま、昔からの夢であった「ニューヨークに住むこと」を実現するため、愛猫のべべと一緒に海を渡ります。これが、1983年のこと。

今の時代であっても躊躇するような決断ですが、当時の主な通信手段は電話や郵便。インターネットも今のように手軽には使えません(作中で、千葉さんが料金が安い夜中にネットを使ってリサーチしている描写があります)。圧倒的に、情報を集めるコストが掛かる時代です。居を外国に移し、さらにその外国で病気の治療を受けるとなると、障壁の高さははかり知れません。

常識に囚われず、自分の経験や価値観を信じて、道を切り開く。そんな千葉さんの姿勢が、当時病気を患っていた私にすごく響いたのだと思います。言葉のひとつひとつから、千葉さんが自身の病気について極めて冷静に、客観的に受け止めつつも、決して病気の影に隠れることなく、できる限りの挑戦をしながら歩みを進めている様子が伝わってきます。生き方に強く惹かれ、著書を何冊も読み漁りました。

私は本を読むとき、心に刺さったり、琴線に触れたりした箇所に付箋を貼ります。もちろん冒頭の抜粋は、付箋を貼った箇所のひとつです。

「自分が近いうちに死ぬかもしれない」という恐怖は、私には分かりません。ありがたいことに、私が過去に患ったのは生命に関わる病気ではなく、今は健康に暮らしているからです。それでも、千葉さんがどんな思いでこの文を書いたのか、どんな風に自分を鼓舞しながら、どれほどの恐怖に耐えながら1日1日を過ごしていたのか、想像しながら読んでいます。明日が来ることは当たり前ではありません。大切な人に思いを伝えること、より良い自分になるため努力すること。今日、また何十回目?かにこの一節を読み、背筋が伸びる思いがしています。



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