東浩紀『訂正する力』を読んだ

アカデミアの方々からはかなり評判の悪いおじさんこと東浩紀の本を読んだ。東の本を読み始めたきっかけは基本的にはニコニコ動画とかの影響だろうか。当時、中学生か高校生だった私は彼はオタク文化(特にエロゲ)をアカデミックな視点から権威付けしてくれて、またネット文化にも明るくてその可能性を信じている人(ホリエモンなんかと割と併置される存在)として認識していた。

東の著書は動ポモから読み始めて、ゲンロンなどの雑誌の形で発表されるもの以外大体読んでいる気がする。ゲンロンカフェにも何回か行っていて、『AIR』を徹夜でプレイする回などはTwitterのサブ垢を開くきっかけにもなった覚えがある。

正直東の発言には(理系的な部分には特に)疑問符がつくことが多いし、周囲の人は結構彼に批判的な人も多いのだが、やはりなんやかんや言って本は読んでしまう。理由は二つあると思っている。まず一つは文章が圧倒的に読みやすいことである。かなり広範な話題を話す割に彼の文章には難解さがなく、また本の一つ一つにもわかりやすいテーマが設定されていて(『弱いつながり』『一般意志2.0』『観光客の哲学』)あまり議論を見失うことがない。もう一つはしゃべりが美味いことがある。彼の現在の地位みたいなものを作っているのはニコ生とかでのトークショーでの活躍があり、実際彼の生放送は結構面白い。政治や社会問題などについてちょうどいい塩梅の難しさの話をしてくれるので4時間とかの生放送のアーカイブでさえたまに見てしまったりする。

彼は最近になって中小企業経営者としてのパーソナリティを活かして、ビジネス界隈などにも読者を広げているようだ。そんな東の最近のテーマは「訂正」にあるようだ。東は多くの経験を経て、老いることについて自分の哲学との接続を試みている。そこでキーとなる概念が「訂正」であるようだ。健全に老いていくうえでは巻き戻し不能な過去を受け入れていくことが必要であり、そこでアイデンティティを保つには過去の再解釈(訂正)が必要になるというのが1つのポイントになっている。

さて、『訂正する力』の話であるが、個人的には「日本の深層意識に潜むリセット願望」の議論が大きな発見だった。東は、本書の中で、日本とヨーロッパ文明を比較し、後者の連続性を保つ知恵、「訂正する力」を学ぶべきであるとしていた。議論をかいつまむと、日本で改革というと明治維新や戦後のようなゼロからのリセットとそれによる成功体験から、カタストロフからの再興のようなものを夢想する傾向にある。一方で、ヨーロッパ文明は、表層的にはやっていることが過去とはがらりと変わっているのにもかかわらず、何らかのロジックをつけて過去との一貫性や連続性が保たれているかのように見せることを得意としている。(コロナ対策での手のひら返しやスポーツのルールの変更などが例として挙げられていたと思う)

過去を改変はできないが、過去をなかったことにして再スタートすることは社会においてはほぼ不可能である。故に過去の過ちを訂正しながらもそこにひそむ一貫性を見出していく必要がある。それこそが成熟であり、戦後80年を迎える日本もいい加減、成熟によって社会を変えていく方向を模索するべきという議論は説得力があった。

311の際も盛んに「震災後」の社会を構築する話がされていた。当時は意味不明だなと思っていた覚えがあるが、これもある種のリセット願望がもたらした想像力と考えると腑に落ちる。コロナ禍で盛んに「ニューノーマル」を唱えていた人たちがいたが、これも大災害によって人や社会の構造がドラスティックに改良されることを望むがゆえに出てきた風潮なのかもしれない。異世界転生ものなんかもリセット願望の反映なのかもしれない。(もっとも異世界転生ものの中でも、リセットした先においても同じ過ちを繰り返すみたいな話は結構多く、別にリセットを肯定的に描いているともいえない気はするが。)

アフリカや中東のニュースを見ると、一旦泥沼の内戦やクーデーターの連鎖にに陥った国家が、日本レベルに整った民主主義・自由主義の国へと整っていくということはほぼない。そう考えると、やはり「今の社会を一回破局させて回復させる」というアプローチはあまりに楽観的すぎるのではと思わざるを得ない。基本的には今ある社会を地道に改良していくしかないのだろう。そのためには確かに改革をしながらも過去との一貫性を見出していく「訂正」的な成熟が必要なのかもしれない。

(ただしちょっと思ったのは、式年遷宮・改元・遷都・天皇制などうまく「リセット」していく仕組みみたいなものを日本社会は内在しているみたいな議論もできるかもしれない。まあこれもある意味全く中身は変わっているのに一貫性を見出す「訂正」の技なのだということができるかもしれない)(あとヨーロッパに理想を置くのは現状では厳しくないかと思わなくもない。どこの国も結構似たような問題を抱えているという話は聞く。学ぶべきところは学ぶべきとの議論はわかるが。。。)

全体を通してみると、「訂正」が本文中では繰り返し否定しているものの相対主義や歴史修正主義と容易に結びつくのではないかという疑念を払しょくするほど議論がクリアには思えなかった点は残念なところかもしれない。
いずれにしろタイムリーな話題も扱っていてなかなか面白い本ではあったと思う。

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