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自分の顔を、好きになる

自分の顔はあまり好きでなかった。

毎朝、鏡の前には立つのに、
髭剃りとかコンタクトとか、
必要な部位だけ見るようにしてた。

自分の外見に自信がなかったから、
当然、ファッションも苦手だったし
髪型で遊んだりもできなかった。


別に、外見を気にしない人生でもいいけど、
自分は音楽やって人前に立つこともあるし、
もっといろんな人と出会ったりしたかったから、
「もっと自分の顔が好きになれたら」と
急務ではなくても、頭の中の1%くらいずっと思ってた。


ただ、顔のパーツを眺める

聞き屋になる前、メンターの講座を受けてる時に、
鏡を持ってきてください、という回があった。
直感的に、苦手なやつだな、と感じた。

そこでは、顔のパーツひとつひとつを
ただ、観察した。

自分の顔が苦手だったから、
人生で初めてくらい、自分の顔をまざまざと見た。

片方の目だけ奥二重で嫌だな
鼻がなんかデカくてバランス悪いな
腫れぼったい顔してるな
夕方になると青髭が生えてきて嫌だな
への字口になっててつまらなそうだな
額が広くてデコッパチみたいだな
ハチが張ってて変な頭の形してるな
左右のバランスがなんか悪いな

自分の顔観察

部分部分の嫌いなところはたくさん語れる。
それでも見続けると、
「昔からずっとこの顔だったよな」
「親が産んでくれた時から、
 いいことも悪いこともこの顔で生きてきたんだよな」
と思った。


自分の目が語ってることを観察する

次に、自分の目を見て、何を感じてるか、
何と語りたいのか、感情を言葉にしてみた。

覇気のない目
自分自身を疑ってる目
迷っている目


ふと、「この目は嫌い?」と
聞かれているような気持ちになって
慌てて、「そんなことないよ!自分の大事な目だよ。」
と思い直した。

その時、安心の気持ちからか
目がニヤッとして、
自分の表情と思考と心に団結力が生まれて
一緒にやってこう、という気持ちになった。

そして、他のパーツにも
ひとつひとつ話しかけてみた。

それぞれの出来の良し悪しとかは関係なく
自分の顔の一部なんだな、と見られるようになった。

「この顔で生きてきたしこれからも
死ぬまで一緒なんだな」と、
諦めではなく、覚悟というか
元の場所に戻ったような気持ちになった。


40歳、自分の顔に責任を持て

 40 歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない

エイブラハム・リンカーン

ネットでの解釈はそれぞれだけど、
私は、「顔つきや外面が要因で起こる出来事は、
全部自分の責任だ」と理解した。

自分の顔は、生まれた時は親からもらったものだけど、
今は自分自身の代表として、社会の矢面に立ってくれている。

笑顔でいたり、真剣な表情で過ごしていれば、
明るい人や真摯に取り組む人たちが寄ってくるし、
怒ったり、自信のない顔つきでいれば、
機嫌の悪い人や騙そうとする人が近寄ってくる。

痩せたり太ったり、
手術したり、脱毛したり、
変えられるなら変えたらいい。

一通り納得できたら、
あとはこの顔で生きていく、と納得しさえすれば
自分の顔はようやく自分自身のものになる。


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