「ルッキズム」から心を守るには
少し前にTwitterで「ルッキズム」について話題があった。
外見のみを重視して相手を判断すること。
就職や転職、人間関係においても、
優遇や差別があり、その考えはどうなのかと
議論になっていた。
とはいえ、容姿に限らず学歴や肩書などを含めて、
瞬間的に伝わる情報で、相手を判断するのを
みんなでやめましょう、というのは難しい気がする。
外面で判断することは、世の中から無くならないと思う。
では、心を苦しめる「ルッキズム」から
どう自分を守れるのか、考えていることを書いてみた。
「ルッキズム」は何が問題か?
「もっと中身も見てから判断してほしい!」
ルッキズムの問題は、
こういう思いが無視されてしまうことにある。
不当な判断で機会を失うのは差別的だから、
ルッキズムはやめるべき、ということだろうか。
自分も外見で選んでる
就活や出会いに限らず、日常では相手を判断することは多い。
駅ですれ違う人、コンビニやスーパーでの買い物、
職場の同僚、知ってる人、知らない人。
どうしても、見た目が威圧的・不快な人は
危険だから近づかないようにするし、
道を聞くなら、穏やかそうな人がいい。
瞬間的に相手を外見や立ち振る舞いで判断することは
どうしても必要になるし、
自分の安全のためにも手放せない。
そして、自分自身も、会社選びやパートナー探しで
見た目の情報に頼ってしまう。
自分が見た目で選ぶのに、相手が見た目で選ぶのを
禁止せよ、というのは矛盾が生じるし、
ルッキズムについての議論が難しい点だと感じる。
制度として禁止ができないとしたら、
せめて、自分の心はどうやったら守れるか?
2つの方法を提案してみる。
外面と内面の両方を知ってから判断する
一つは、パッと見た目が惹かれた時に、
すぐに結論を出さないようにする。
相手の内面を知るには、時間と労力が必要なことが多い。
例えそうだとしても、
外面と内面と両方を知るまでは、
の状態で、保留しておく。
自分自身も知ってもう場を作る
もう一つは
相手に自分の内面を知れる機会を用意すること。
実際に会って話すには時間が必要だから、
相手がいつでも自分の一部でも知れるように、
アクセスできる情報を残しておく。
全ての人と会っている時間はないけど、
自分に興味を持ってくれた人が知れる場を作ることは
自分と相手の両方にとって、チャンスが増える。
「外見のみを重視して相手を判断する」
のが辛さを生むのであれば、
「外見のみを重視せず、
内面も知ってから相手を判断する」
ようになればいい。
自分がそう思うと、相手にもそう思われる
人は、自分が思うように、他人も思うと認識しがちだ。
ルッキズムを制度で禁止することはできないなら
まずは、自分がルッキズムだけで判断するのをやめてみる。
「ルッキズム」から心を守るのに
今の自分ができることについて書いてみました。
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