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自分の嫌いなところを見て、他人の嫌いなところは見ない

自分の嫌いなところはあるだろうか。

やるべきことを先延ばしにするところ
ついゴロゴロしてしまうところ
自分から人を誘えないところ
ネガティブに受け止めてしまうところ

自分の弱みを見ることは、とてもつらい

横山光樹「三国志」より


他人の嫌いなところはあるだろうか。

非常識な行動をする若者
言ってることがコロコロ変わる政治家
理不尽な要求をしてくる取引先
見当違いな意見を堂々とSNSに投稿する他人

他人の嫌いなところは気分が悪くなるけど、
野放しにするのも不快だから、つい見てしまう。


自分の嫌なところは見ないで、
他人の嫌なところばかり見てしまう。

それも、わかる。


それでも、自分として生きている

自分の弱みは、簡単には直せないかもしれないが、
実は、直す必要もないかもしれない。

何かができない時、自分にはやりたくない・できるようになりたくない理由があったりする。本当にやりたければ、取り組むことはできる。

自分の本心に聞いてみて、本当はやりたいのであれば、なぜ今やれないのかを知ればいい。
本当はやりたくないのであれば、やらなくても事が進む方法を考えればいい。

自分の弱みは、ただの特徴だ。

せっかく、この世に授かった体で生きてくのだから、
自分の心と体と、少しでもチームワークができてた方が楽しい。

今は自分に不満があるかも知れないけど、
いっときでも向き合った自分とはきっと仲良くなれる。


他人の嫌いなところは"見ない"事を選べる

他人の不正には敏感な人が多い。
不快な気持ちにさせるし、こういう人がいるから安心できる世界から遠のくのだと感じる。(とばっちりの来ない場所で)叩きたくもなる。

では、世の中の不正をいつまで叩き続ければいいのか。
一回叩いただけでは相手は変わらない。
相手には相手の正義がある。
そもそも他人を変えようという事自体、無理だ。

自分の人生の大事な時間を、変わらない他人のためにどれだけ使うのか。

私たちは、"見ない"という行動を選べる。
自分の気分が悪くなりそうであれば、一時的にでも見ないようにする。
その時間を、自分自身がなりたい自分になれるように、作りたい世界に近づけるように、自分のために使う。

他人を批判し続けて、自分が一歩も進まない毎日と、
自分が作りたい世界に向けて、一歩でも進める毎日と、
どちらを選びたいか。


嫌いな他人のために浪費する時間は、もったいない。




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